透析施設の経営は、透析器の購入など莫大な初期投資が必要だ。それを回収するには、透析器を少しでも長く、多く、回し続けねばならないという側面がある。医療の持続性から収益性が求められるのは当然のことだが、終末期の着地点を十分に用意しないまま、延命のために透析を回し続ける現場は肯定されるべきなのか。延命ばかりが優先されれば、患者のQOLは置き去りになる。
終末期の透析患者は合併症を起こしやすく、他科にまわされることも増える。今回の取材で、循環器内科医や救急医からは厳しい言葉を聴いた。
「終末期の透析患者が運び込まれてくると、血管もどこもボロボロで手の施しようがない。透析を回せるだけ回して、回せなくなったらうちらに投げてくるのは無責任だ」
金の切れ目が縁の切れ目なのかと嘆きたくもなる。
患者の囲い込みに必死?
求められる在宅医療の選択肢
透析医療は、在宅医療とも連携が薄い。自力での通院が困難になった透析患者は〝永遠の入院透析〟を余儀なくされる。結果、透析患者の1割が入院しており、さらなる財政の圧迫要因になっている。
腎不全には、3つの腎代替療法がある。血液透析、腹膜透析、腎移植だ。ある在宅医は、「血液透析の継続が困難になった患者には、早めに『腹膜透析』に切り替えたら、在宅で安楽に過ごせる人が一定数いる。しかし患者を手放そうとしないクリニックが多い」と指摘する。
腹膜透析は、腹部にカテーテルを留置し、腹膜から老廃物や水分を排出する療法だ。見た目にはお腹に点滴をするような感じで、自宅でできる。血液透析に比べると透析効率は劣るが、飲食や活動量が減る終末期には身体にやさしい透析といえる。
在宅医療と連携して感染症対策をきちんと行えば、患者は自宅や施設で穏やかに生を閉じることが可能だ。そんな実践を行う医療者たちの活動を私自身、数多く取材した。
しかし、日本では血液透析が約97%を占め、腹膜透析はわずかに3%。国際比較でも際立って少なく、まともな選択肢になっていない。私たち夫婦も腹膜透析の説明を受けたことは一度もなかった。透析を離脱することのできる献腎移植も15年待ちだ。近年、学会ではSDM(共同意思決定)の大合唱だが、SDMをすればするほど血液透析を選ばざるをえないという不条理が日本にはある。
保存期の腎不全患者2万3000人を会員に持つ腎臓サポート協会が、興味深い統計を持っている。協会では3つの腎代替療法について丁寧に情報を伝える活動を行っている。その結果、透析になった会員のうち20%が腹膜透析を選んでおり、適応のある患者が一定数存在することを示唆している。
厚生労働省は2018年、大幅な診療報酬改定に着手、腹膜透析や腎移植などの選択肢を広げる方向に舵を切った。それでも、現場の動きは鈍い。今年4月には財務省が『持続可能な社会保障制度の構築(財政各論Ⅱ)』の1頁を割いて腹膜透析にふれ、血液透析一択の現状で患者本位の医療が行われているのかと疑問を呈したほどだ。
血液透析市場が縮み始めた今、一部の施設は患者の囲い込みに必死で、療法選択どころではない、との裏話も耳にする。それが事実ならば一体、誰のための何のための医療かと問いたくなる。
さらに日本の透析患者は高齢化が進み、今や過半数が70から90代だ。誰でも透析を受けられる医療環境は恵まれている。しかし、フレイルが進行する患者に、身体への負担が重い血液透析を導入しても予後は必ずしもよくない。
