2025年12月6日(土)

日本の医療は誰のものか

2025年9月5日

 海外の研究では80代の3割が導入から1年以内に死亡、その半数が3カ月以内に死亡している。高齢の配偶者ら介護する側の負担も小さくない。

 高齢者の療法選択には、生活環境や予後を見据えた慎重な情報提供が必要だろう。透析を選ばない患者に対しても、苦痛を和らげる適切な医療を提供できる体制づくりが急がれる。すべての選択の先に緩和ケアの充実は絶対条件だ。

透析中止は「自殺幇助」なのか?
緩和ケアという選択肢を

 今年2月、透析患者の終末期の現状を改善しようと、自民党前外相の上川陽子議員、元厚労省医系技官の国光あやの議員らが「腎疾患を軸に医療の未来を拓く会」を立ち上げ、6月には「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」に腎不全患者が緩和ケアを受けやすくする方針が盛り込まれた。

夫の林新氏が残した尿量や飲水量、血圧などを記録したノートは、亡くなるまでに40冊にもなった(KEIKO HORIKAWA)

 この議論の中に私自身も当事者として身を置いたのだが、そこで思わぬ言説を耳にした。

 「透析の中止は自殺、それを認めれば医療者は自殺幇助に問われかねない、緩和ケアは安楽死に繋がる」と、勉強会の参加議員に水面下で再考を促そうとする動きがあった。

 過去の刑事裁判の判例で医療者が有罪とされたのは、筋弛緩剤の投与にまで至ったケースであり、患者の意思による延命治療の中止は有罪の構成要件になっていない。緩和ケアは死に向かわせる医療ではなく、苦痛を和らげ、最期までより良く生きるためのものだ。「自殺幇助」という威圧感の強い言葉で、腎不全の現場から緩和医療を遠ざけようとする動きに、私は利権の影を見た気がする。

 透析医学会では今、緩和ケアに対する取り組みが始まったところだ。今年6月の関連シンポジウムでは、透析専門医の資格を持つ弁護士が法的見解を示した。

 それによれば患者が透析を中止して至る死は「自殺」でなく「病死」であり、患者が自身の治療を継続するかどうかを決めることは、日本国憲法第13条(個人の尊重と幸福追求の権利)に由来する「自己決定権」の正当な行使であるとされた。透析の導入・継続の有無にかかわらず、患者の意思決定に医療が丁寧に伴走し、ともに出口の在り方を模索する姿勢こそ求められている。

 財源には限りがある。誰もが少しずつ何かを我慢しながら制度を維持せねばならぬ厳しい時代だ。それでも患者家族の立場からは、削るべきは削り、手当てされるべきは手当てされることを切に願う。腎不全の緩和ケアは、透析患者の尊厳を守るためのみならず、今この瞬間にも患者に真摯に向き合う医療者たちを支える道につながるものであることを信じている。

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Wedge 2025年9月号より
日本の医療は誰のものか
日本の医療は誰のものか

日本の医療が崩壊の危機に瀕している。国民皆保険制度により私たちは「いつでも、誰でも、どこでも」安心して医療を受けることができるようになった。一方、全国各地で医師の偏在が起こり、経営状況の悪化から病院の統廃合が進むなど、従来通りの医療提供体制を持続させることが困難な時代になりつつある。日本の医療は誰のものか─。今こそ、真剣に考えたい。


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