2025年12月5日(金)

コメと日本人

2025年9月23日

 戦前帝国日本は、稲作を通じて「食権力」を行使し、戦後は、それに翻弄されている。「令和の米騒動」を一時の問題とせず、食料政策を綱渡りにしている原因を考えなければならない。「Wedge」2025年10月号に掲載されている「コメと日本人」記事の内容を一部、限定公開いたします。

 「令和の米騒動」とも呼ばれる昨年来の米価の高騰は本当に「騒動」と呼べるものだったか。私はそうは思わない。

 1918年夏の米騒動は寺内正毅内閣を終わらせた。人びとの食べものへの恨みは深く、持続的である。

 今回も、生活がすでに困難であった人びとを直撃した。フードバンクではたくさんの人が食品を受け取りに並び、電気、ガスや水道が止められる世帯が増えていることは、しかし、あまり報道されなかった。

5月31日の備蓄米販売に向けて準備する大手スーパー(REUTERS/AFLO)

 「コメは買ったことがない」という当時の農林水産相の弛緩した発言は、担当大臣としては軽率な発言ではあったが、無償譲渡(縁故米)を含む農家消費は全体の15%ほど流通しているとされ、決して珍しいものではない。むしろ、現在の農水相によって劇場的に備蓄米が放出され、足元の価格が落ち着いてきたことで溜飲を下げてしまう「騒動」の貧弱さ、危機感の弱さこそが、この国の食の危機そのものである。

 歴史的に考えれば、冷害、台風、低温、日照り、虫害、日照不足、長雨などがもたらしてきた食料危機の方が「常態」であり、むしろ食べものを大量に作って大量に捨てる現在の方が異常であった。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という心理傾向が輪をかけて強い日本の国民の宿痾は、食料政策の根源的な改革を妨げている。

 「騒動」を簡単に終わらせてよいほど、日本の食料政策は安泰ではない。今こそ、水と土と気象にめぐまれたはずの列島でわざわざ長期的に食料政策を綱渡りにしてしまっている不可思議な事態と、それを乗り越える方策について真剣に考える最後の機会だろう。


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