ふるさと林道
92年、当時の国土庁、林野庁、自治省の3省庁で森林・山村検討会を立ち上げた。主眼は過疎対策であるが、自治省の最大の狙いは「ふるさと林道」の創設にあった。
建設省(当時)は、都道府県道や市町村道でも道路計画に記載されていない路線の建設は認めず、新たなニーズによって地方自治体が望む路線を自由に建設することはできなかった。このような硬直性に対応するため、地方自治体の味方である自治省が、地方交付税や地方債を使って地方単独事業による道路建設を目論んだのである。
自治省が狙いをつけたのが何と林道だった。林道は森林法に規定されており、都道府県知事がたてる地域森林計画に加えることによって、開設・改良ができることになっていた。すなわち都道府県知事の裁量で自由に路線を決めて建設できるのである。
地方のニーズは主として、山や谷によって迂回を余儀なくされる地方道を短絡するトンネルや橋梁であって、2車線の道だった。これによって隔てられた山村と町、山村同士の交通を劇的に改善できる。
実際、和歌山県においては、こうした2車線林道のトンネルを県単独事業で建設していた。それではと筆者は早速視察に出向いたのだが、県の担当者は、てっきり林野庁から怒られるものだと勘違いして、現地の看板を隠したりして大騒動になった。何度も「本当に見るのですか」と念押しされた。
やっと見せてもらったそれは、当時の龍神村と中辺路町を峰越でつなぐ水上栃谷トンネルで、田辺市への所要時間を画期的に短縮し、山村の交通改善に抜群の効果を発揮していた。
これに力を得て「ふるさと林道」の制度化に乗り出した。自治省は事業化する限りは一声500億円の予算規模からだと言う。目ん玉が飛び出るぐらい驚いた。林道の国庫補助金は2000億円ぐらいあったが、年に1億円も増えれば大成功だったのに、一気に500億円も積み増しできるのだ。
しかし、難敵は林野庁部内だった。林道事業を自治省に奪われるという疑心暗鬼のかたまりなのだ。
ある晩1人で仕事をしていると、森林開発公団(当時)が建設する大規模林道の担当をしていた事務官と同期の技官がやってきた。基幹林道を地方単独事業でやれるようにしたのは、林野庁の魂を自治省に売る行為だと、滔々と述べ立てた。しばらく黙って聞いていたが、我慢しきれなくなって言った。
「山村がよくなるんなら、林野庁がやろうと自治省がやろうと、どうでもいいじゃないですか」
「大規模林道を自治省でやるといったらどうするんだ」
「ただでさえ大規模林道は進捗が遅いと言われているのだから、自治省に応援してもらえばありがたいじゃないですか」
将来農林水産省を背負って立つ幹部候補生の事務官でさえこの程度だ。国民よりも組織への忠誠を優先させるのが、役人道なのである。
縄張りを奪われると見るのが小役人の世界。関係省庁が手を取り合って大きな事業を実行するという役人冥利に尽きる仕事なのに、である。
その後も紆余曲折はあったが、何とか道理は通ってふるさと林道は制度化された。初年度500億円の事業規模があっという間に1000億円を超えるまでに膨らんでいった。
この時が一つのチャンスであった。生活道的林道はすべてふるさと林道に任せて、国庫補助はすべて森林施業用の林道に投入するのである。そうすれば林業の近代化に一番必要な林道が延びて、森林整備のコストダウンに寄与できたはずである。
しかし、林野庁の林道事業は、その後も林業と山村生活の二兎を追い続けたのである。器量のちっちゃい役所だった。
