2025年12月8日(月)

世界の記述

2025年10月17日

 ルコルニュは、過去との「決別」をぶち上げたにもかかわらず、内閣の顔ぶれが前政府を踏襲したことを否定できなかった。ルコルニュ自身が政界入りするときの指導者であったブルーノ・ルメール経済産業相が防衛相として入閣したことは、反発を買った。保守派共和党代表ブルーノ・ルタイヨーは「フランスの財政赤字を招いた張本人が入閣するというのは、『決別』とは言わない」と激しい口調で批判した。

 ルコルニュ新首相は、16歳で保守派人民運動連合(UMP)の党員として政治活動を開始、その後共和党に所属、先に触れたブルーノ・ルメール議員(後に経済・財務・産業相)のスタッフとなり、2014年には27歳でユール県ヴェルノン市長に選出、同県で最年少の市長となった。

 17年大統領選挙では最有力候補の共和党フィヨン元首相候補を支援していたが、同氏夫人の架空名義公金支払いや賄賂のスキャンダルで支持率が大暴落するや、中道派マクロンに乗り換え、その傘下に入った。マクロン政権下では、19年のデイーゼル・ガソリン付加価値税率引き上げに端を発した「黄色ベスト」運動としてフランス全土におよんだ抗議暴動をおさめ頭角を表した。翌年に海外相、22年にマクロンが大統領に再選されてからはずっと防衛相を務め、マクロンの信頼を最も受けている政治家のひとりだ。

 筆者自身ルコルニュ辞職の後、大統領が2日間の組閣交渉のための期間を同氏に与えたことから、最終的には同氏が再任されやすい環境を醸成しようとしたと推測した。実際にはマクロン大統領の強い影響下でのバイル前政権と代わり映えしない組閣であったこと、とくにルメールの入閣が大統領の要望であったことが首相の嫌気を買ったというのが真相のようだ。

 大統領の側近中の側近のルコルニュも「(過去からの)決別」を掲げた以上、その責任は負いかねたと思われる。辞職した時点で組閣交渉に2日の交渉猶予期間を与えた大統領とそれを受けた首相双方に再任の可能性は二人の間では織り込み済みだったともみられる。首相返り咲きの独善的なシナリオは大統領とルコルニュとの特別の関係だからできたシナリオだった。

各政党の反発、少数与党の悲哀と綱渡り

 しかし一旦辞任した首相が日を置かずに再任されたことについて、ジョルダン・バルデラ極右「国民連合RN」代表は「悪い冗談だ」とXに書き込んだ。RNは極左「不服従のフランスLFI」が主張する政府不信任案提出や大統領辞任にまで同調するようになった。野党だけでなく、マクロン派内部でも大統領批判が起こっている。

 第二次ルコルニュ政府では、首相辞任劇の元凶となったルタイヨー共和党党首や批判を浴びたルメールら共和党重鎮は自ら身を引いた。極左「不服従のフランス(LFI)」や極右「国民連合(RN)」に加えて、中道右派の「Horizon」や年金法停止の急先鋒の社会党も入閣を拒否。大統領の選挙母体の中道派「ルネッサンス」と「民主運動MoDem」だけが新内閣への入閣を受け入れた。大統領は孤立を深めている。

 第二次政府では、ルコルニュはかつて所属した共和党の有力議員を6人抱き込むと同時に、会計検査院長・警視総監・フランス銀行総裁経験者を登用した。共和党は入閣した議員の共和党離党の判断を決定した。

 支持政党が与党のみという孤立した首相・大統領は、残りのポストを官僚・財界出身者によって埋めねばならなかったことは、第二次ルコルニュ政府が発足当初より脆弱である表れだ。新政府の当面の目標は、野党に政府不信任動議を提出させず、26年予算案を通すことだ。


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