2024年11月22日(金)

研究と本とわたし

2014年6月16日

 久野先生は大学院で岩漿論(注:岩漿[がんしょう]=マグマの和名)という講義をもっていて、それは2年にいちど開講する。わたしが4年生のとき、その講義が開かれることになっていました。翌年には開講せず、翌々年は定年で退官される年だったので、最後のチャンスだったわけです。そこで学部の学生だけれど岩漿論の授業を受けさせてほしいと久野先生に頼みこむと、教授会に諮ってくれて、聴講することができたんです。

 でも、その講義は最後まで続かなかった。久野先生は病気が悪化して病院に入られ、60歳を前に亡くなられてしまいました。わたしは卒論のために山形県の山奥のフィールドに出ていて、そこに逝去を知らせる電報が届きました。

 科学的探究の面白さについての本なら、『火山灰は語る』(町田洋著:初版1977年)をあげます。これはわたしが理学部の助手をしている頃に刊行された本で、著者は地理学の先生なんですが、ちょっと探偵モノみたいに火山灰を追跡していく執念と手法には、ワクワクしましたね。

 あるひとつの噴火により、一週間程度で広い地域を覆った広域火山灰は、噴火史を読みとくキーベッド(鍵層:年代を特定する地層)になるんですね。それを彼はいくつも見つけている。

 富士山は「10万歳」とされますが、町田さんたちが見つけた御岳第一軽石がその決め手となった。御岳軽石は10万年前のもので、その上位に富士山起源の噴出物があり、下位にはないのです。

 町田先生の仕事は、やがてわたしの仕事にも関係してきました。富士山の活動史の研究を始めると、町田先生の研究と重なってきたのです。

──研究過程で、いろいろな分野がつながり合ってくるのですね。研究テーマは、どのように決めていくのでしょうか。

藤井氏:「何をやりたいのか、自分で考えろ、自分で見つけろ、自分で決めろ──。」それが久野先生の口癖でしたね。

 わたしは最初からマグマの研究をやる、と決めていましたが、当初の関心はその成因ではなく、マグマの冷却過程。マグマは1200度くらいから常温まで冷えて固化していきますが、冷却過程で性質の異なる鉱物がいろいろと生じてくる。そのプロセスを追いかけたいと考えていました。久野先生のサジェスチョンで山形県と秋田県の県境に卒論のためのフィールドを求め、フィールドワークの中で、さらにテーマを絞り込んでいったのです。


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