そう聞くと、意識を生み出すことはできるように思えるが、その意識をどうやって確認するのか。客観的にはテストできないのではないか。
「おっしゃる通りで、『その機械に意識があるかどうか』ということは、客観的な観察だけでは判断できません。つまり意識は、自らの『主観』を通して確かめるほかない。だからこそ私は、自らの脳と機械の脳とを接続し、そこに宿ったかもしれない意識を自らの意識を用いて〝味わう〟ことで確かめようとしています。
脳と機械脳との融合が叶えば、機械脳の側に自分の意識や記憶をアップロードすることも考えられます。もっといえば、仮に肉体の脳が寿命を迎えたとしても、機械脳がそのまま機能し続ける、という未来も私は想定しています」
つまり、コピーではなく、今ここにいる自分の意識がそのまま、機械にアップロードされる……。ここでやっと、不老不死の話と結び付いた。すでに特許を取得している具体的なアイデアもあるという。
「死」を一時的に避ける
未来がやってくる?
「私のアプローチは、現在の技術の延長線上にあり、未知のイノベーションを必要とするものではありませんが、それにしても、数百億円規模の予算が掛かるでしょう。ただ、人体の中に機械を入れるという発想自体は、すでに広く普及している心臓のペースメーカーと本質的に変わりありません」
とはいえ、もしそれが可能になったら、不老不死を体験できるのは金持ちだけ─。つまり、究極の資本主義的世界の到来を意味するものになるかもしれない。
「千葉市・幕張西の団地で育った私としては、そのような格差が生まれる未来は好ましくないと思っています。また、誤解してほしくないのは、不老不死の実現のために研究の道を志したわけではないということ。私の科学者としての本義はあくまで『意識』の解明であり、その探求を重ねてきた結果として、先に述べたようなSFに近い世界観を描けるようになりました。
そうは言いながら、幼い頃からSFの本はたくさん読んできました。でも私も含めて、科学者がSFの世界観を意識的に拾い上げ、目指してきたわけではありません。ただ事実として、『意識のアップロード』という概念だけを考えても、先に扱ってきたのはやはりSFの世界でした。私もどこかでそうした発想の影響を受けていることは否定できないでしょう。
人によっては、仮にデジタルの世界で生きていくことができたとしても、永遠に生き続けるのは逆に辛いことなのかもしれません。それでも、私は少なくとも2000年くらい生きてみたい。だからこそ、一時的に『死を避けて』、もう十分だと思ったら自分の意思でひと休みする。そんな社会のあり方を、私は〝不老避死〟と呼んでいます」
