2025年12月7日(日)

令和の京都地図

2025年11月25日

幾度も観光公害に直面し、
乗り越えてきた京都

 だが、歴史を振り返れば京都に観光客が次から次へと押し寄せる状況は今に始まったことではない。

 文化人類学者の梅棹忠夫『京都の精神』(角川ソフィア文庫)には、同氏が1970年、京都市文化観光局主催の「観光事業経営者夏季講座」で行った講演内容がこう紹介されている。

 「よそから京都市に殺到してくる観光バスや自家用車の大群、そのまきちらす排気ガスによる損害などをかんがえると、どうなりますか。空気はよごれ、市民は健康をそこない、マツの木はかれる。まったく観光公害です。(中略)観光公害で京都は荒廃しはてるのではないか」

 ものすごい危機感である。しかも50年以上前から観光公害という言葉を使っているのだ。

 事実、高度経済成長期以降、大衆観光化が進み、京都市内にはマイカーによる観光客が急増した。当時を知る市民によると、市の中心部から嵐山まで行くのに6時間もかかるほどの交通渋滞を招き、市民生活に大きな影響をもたらしたという。こうした問題を踏まえ、京都市は73年11月、「マイカー観光拒否宣言」という強いメッセージを出している。

 それだけではない。2010年に制定した「歩くまち・京都」憲章では、京都の賑わいや歴史、伝統が損なわれていることを危惧した京都市が、車社会からの転換を呼びかけた。1万4000人以上に行ったアンケート調査では、この方針を圧倒的多数の市民が支持。これにより、四条通の歩道が拡幅されたほか、車から公共交通に乗り換えて目的地に向かうパークアンドライドの拡充に繋がり、現在に至っている。歩道が増えることは車線が減ることであり、車を利用する市民には不便である。だが、こうした取り組みを支持することに京都市民の〝価値観〟が表れているのかもしれない。

 『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』(星海社新書)などの著書がある文教大学国際学部専任講師の中井治郎さんは言う。

 「京都市民はこれまでまちの歴史や伝統を守るため、多少の利便性を犠牲にしてでもそれを優先する選択をしてきました。これは他の自治体とは一線を画す姿勢です。京都市中心部、いわゆる『田の字エリア』の建物の高さ規制も緩和すれば土地の効率は上がりますが、現状を維持するのが京都市民の矜持なのでしょう」

 現在では外国人観光客の急激な増加によって、観光マナーや言語の壁などの新たな課題も生じているが、冒頭の「観光公害というのは不適切」「折り合いをつける」という京都市民の言葉には、歴史的に育まれた京都人のおもてなしの精神やDNAが息づいているのかもしれない。


新着記事

»もっと見る