2025年12月8日(月)

お花畑の農業論にモノ申す

2025年12月8日

寂しげな出征

 このような穏やかな生活は、長くは続かなかった。21歳の時に、一枚の召集令状が届き、海軍への出征が決まった 。

 当時小学5年生だった父は、出征の日の挨拶を鮮明に覚えている。本来、出征兵士は親戚に向けて力強く元気な挨拶をしたそうだ。しかし、伯父の挨拶は、どこか寂しげで、その声は父の耳に非常に虚しく響いた 。

 「元気がなかったね」

 子供だった父がそう祖父に漏らすと、祖父は父を叱ったそうだ 。

 彼の数々のエピソードから、人を傷つけることなど、とてもできる人でなく、出征前に元気な挨拶などできなかったのだろう。命を尊び、争いを好まず、家族を深く愛した若者は船で静かに旅立ち、終戦前の戦闘の混乱の中、船が沈没し、帰らぬ人となった。

伯父の〝伝言〟

 伯父のことがずっと気になっていた筆者は、2025年に戦没者を悼む式典に初めて出席した。その時、自然と涙が溢れた 。

 筆者の人生を振り返ると、小学2年生の時に従姉から『ビルマの竪琴』を買ってもらって読み、深く感銘を受けた。その後に激しさを増したベトナム戦争に心を痛め、戦争の悲しさを強く感じた。これらは単なる偶然生まれた感受性ではなく、伯父の「人を傷つけたくない」という魂が、筆者の中で共鳴していたのかもしれない。

 追悼会で流した涙は、伯父の気持ちに触れたように感じられ、叶わなかった願いが静かに胸に迫ってきた。

 日本の農村で生まれ、自然や生き物と日々接し、命の尊さを強く持ちながら、戦争に行って若い命を落とさなくてはならなかった伯父。「人間同士が傷つけ合う戦争は避けなくてはいけない」。筆者の伯父である一人の若者が、その短い半生を通じて伝えたかったであろうメッセージだ。


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