2025年12月7日(日)

オトナの教養 週末の一冊

2025年12月7日

 インド政府の高級官僚で構成された調査団が来日した時、鈴木氏はちょうどアメリカ・デトロイトに出張する予定が入っていたが、その前に代表団への挨拶のために投宿先のホテルを訪れた。 その際の話が熱を帯び、鈴木氏がデトロイトから帰るまで日本で待っていて欲しいと要請したところ、調査団は本当に待っていたという。

 この時の一員で、のちにマルチ・ウドヨグ(現在のマルチ・スズキ・インディア)の社長を務めたR・C・バルガバ氏の回想が印象的だ。

 「スズキはトップの鈴木氏が一貫して説明してくれた。 他社はみな、トップは最初の挨拶だけだったのと比べ、熱意を感じた。 この人に賭けようと決めた」

 このエピソードは、インド政府が鈴木氏の並々ならぬ熱意を受け止めてスズキのインド進出の道を開いたことを示している。

なぜ、インド進出を成功させたか

 鈴木氏は社長に就任した78年 6月から長期にわたって経営を担ってきた。軽自動車NO.1の低燃費である「アルト」の商品化、米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)との提携、インド進出などを着々と手がける。会長になって以降も大きな影響力を及ぼし、「人たらし」の才能を発揮して、業販店の経営者らの心を掴んでいく姿は、まさにカリスマ経営者である。


 本書では、07年のインド訪問の様子が紹介されている。秩序など全くないインドメディアのすさまじい記者会見をこなすほか、各地の工場を訪れて現場を監査しながら、率直かつ直球な物言いで指示する鈴木氏の姿勢は、まさに「経営の鬼」といえるほどだ。
その様子がこう描かれる。

 「段取りが悪い」、「溶接の火花が飛びすぎだ。シートにかかったら一発で不良になるからカイゼンしろ」……。矢継ぎ早に、指示と命令を発してまわる。~中略~インド人の幹部たちは、反論することもなく鈴木修の叱責を聞いていた。鈴木修にとっては、日本人だろうがインド人だろうが、区別などないのだ。

 鈴木氏はインドで成功した理由はただ一つ運が良かったことだといい、特に現地の人にも恵まれたと振り返る。しかしインドの商工大臣に記者団の前で「高速道路と港湾を早急に整備していただきたい。整備いただけないと、スズキは輸出できなくなり、一番困るのはインド政府でしょ」と本音で詰め寄る様子などはいかにも鈴木氏らしい場面である。さらに、国内の同業他社と切磋琢磨する様子も本書の読みどころである。


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