2025年12月18日(木)

WEDGE REPORT

2025年12月17日

人を助けたいという香港人の純粋な思い

 この火災で民主的な形で支援を募る「香港型」のボランティアが活躍した。14年の雨傘革命や19年の逃亡犯条例に関する大規模デモでは、市民ボランティアが草の根的にデモ隊をサポートしており、今回、支え合う精神が再び発揮された。

 救援物資は、食事、飲料水、衣料品、医薬品、寝具、ITデバイスの周辺機器、乳幼児向けの製品など多岐に渡るものが用意され、火災現場の隣にある高層マンション群「廣福邨(Kwong Fuk Estate)」にある広場に、救援ステーションとして自発的に設置された。そこでは、お祭りの出店のように物資を置いて配るだけではなく、「水はいりませんか?」と歩きながら配布する人、現場に来たもののどうしていいのか戸惑っている人に歩み寄って「このご飯を持って行ってください!」などボランティア自ら積極的に声をかけ続けた。

救援物資を配布するボランティア(写真は一部加工してあります)

 また、救援物資を届けるエリアの南側にある公園には、大量の花束が置かれたほか、付箋には応援および追悼メッセージが多数、貼られていた。19年のデモ時にも付箋が大量に張られ、壁一面がモザイクのような模様になった壁を「レノン・ウォール」と名付けられ、そうした場所がいくつかあった。それと同じだった。

 また、救援物資の場所は前述の広場以外にもあり、その場所を記した地図、臨時の宿泊所の案内、ボランティアの募集など必要なものを網羅した総合的なウェブサイトがすぐ立ち上がった。

 これらの光景は、14年の雨傘運動や19年のデモで見たものそのもので、助け合う姿は世界中の誰が見ても素晴らしい光景だった。

〝迅速に〟当局が規制

 しかし、香港政府や中国当局にとっては、こうした一部の市民の動きが反政府デモを思い起こさせるのに十分だった。

 例えば、レノン・ウォール。書かれた追悼メッセージには政府の責任問題について書かれていた上に、実は19年のレノン・ウォールで最大規模のものが大埔にあった。

 日本でも報道されたが、住民は防護ネットに引火した場合の危険性を政府関係者に訴えていたが無視されたという。市民は企業への利益誘導があったのではないかと感じていた。14年には沙田(Shatin)地区にある翠湖花園(Garden Vista)というマンション群の修繕費が天文学的な金額で、その裏には談合があったことを暴露した記事が話題となっていたからだ。

 また、大学生の關靖豊(マイルズ・クワン)氏は、独立した調査委員会の設置、工事監督制度の再検討、被災住民への支援、監督怠慢の究明と政府関係者の責任追及という「4大要求」と書かれたビラを配布し、オンライン署名にまで広がった。19年のデモ隊は、香港政府に対して「5大要求」を突き付けたが、その中に独立調査委員会の設置があった。そう、4大要求は19年と直結した。


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