2025年12月21日(日)

つくりびととの談い

2025年12月21日

意外なドラマーの過去
鳴り響いた「ものづくり」の音

底面以外を加工する門型5面マシニングセンタを操る原さん。作動時は何度も数値を確認する

 今回のつくりびと、加工グループのリーダー・原秀和さん(45歳)は、口調も物腰もとても穏やかな人物である。しかし、経歴を聞いてみると、相当にユニークだ。

 「土木の専門学校を卒業して3年ほど現場監督をやっていたのですが、どうしても音楽をやりたくて、親に2年間だけと約束をして、名古屋で音楽活動に没頭しました」

 ジャンルは?

 「パンクです」

 パンク!?想像がつかない。

 「20歳の時、友達からドラムセットをもらったのをきっかけに、独学でドラムを覚えました。一度だけ思い切り音楽をやりたかった。年をとってから後悔したくなかったんです」

 トラック運転手、漫画喫茶のビラ配り、スポーツジムのインストラクターと24時間びっちりバイトを入れ、バンド練習の時間だけバイトをオフにして、丸2年間、文字通り寝る間を惜しんで音楽に打ち込んだ。

 「ある日、会社の社長を名乗る人物から声をかけられました。ついに音楽事務所からオファーが来たと思ったら鉄工所の社長さんで、お前の音楽いいよーって言われました」

 バンドは売れなかった。でも、やり切ったから悔いはない。地元に戻って、今度は介護の仕事についた。

 「訪問入浴専門の会社に9年間勤めました。訪問入浴のお客さんって、デイサービスに行けない重度の方なんです。重度の方は、いくら丁寧なケアを心がけても早晩亡くなってしまう。実際、『最期の入浴』を依頼されることもありました。ケアの仕事自体は好きでしたが、営業も担当するようになると、会社の利益のために、いつのまにか重度の人を探し求めるようになってしまうんです。それがどうにもこうにも辛くて、最後の3年間はずっと悩んでいました」

 心が擦り減っていくような日々を送るうち……。

 「何かを生み出したい、何かを作りたいという気持ちが、どうしようもなく込み上げてきたんです」

 妻子があることも顧みず、原さんはまったく未知の、機械加工の世界に飛び込む決意をした。いまから9年前のことである。


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