ホントは偉い坂井喜左衛門
ちなみに坂井喜左衛門だが、ドラマでは「名主」(当然上中村の、だろう)と説明されている。史実では信長の叔父で守山城主だった織田信次の年寄衆。ドラマよりかなり実力者のお偉いさんだ。さらにそれ以前、本人か先代喜左衛門が織田信友の家臣だったらしい。
信友は尾張下四郡(愛知県東部の南半分)を支配する織田大和守家当主で、信長の父・信秀は大和守家の奉行だったから、喜左衛門は本来信長と同格だった。
その娘となると、おいそれと秀長が軽口を叩ける相手ではないし、何より中村からは10キロメートル(㎞)も離れているので万事多忙な重臣として出仕するのにもちょっと無理があるかもしれない。
その後、喜左衛門は新たに守山城を与えられた織田信時(信長の弟)の家老にスライドするが、安房守(あわのかみ、この地域の行政官)が喜左衛門の子・孫平治を衆道(男性同士の関係)の相手として寵愛し喜左衛門の相方家老・角田(つのだ)新五を軽んじたため、元々信次時代は重臣筆頭だった自分の地位がいよいよ危ういと怖れて信時を殺害してしまう。
それが弘治2年(1556年)の出来事だから、ドラマで坂井喜左衛門家が略奪のターゲットにされる永禄2年(1559年)までのわずか3年の間に守山城を辞して上中村の名主に収まったとも考えづらい。
どうやらドラマの喜左衛門さんは史実とは別の人間で名前だけが被っていると解釈した方が良さそうだ。
信長と秀長の出会いシーンの〝違和感〟
閑話休題。ドラマ初回、秀長は清須の道普請に参加しそこで微行(おしのび)で作業に参加していた織田信長と初めて出会う。ここでいただけないのは、現実性の欠如だ。
いや、なにも信長との出会いにケチを付けるわけではない。問題は、道普請の最中に起きた土砂崩れの方だ。
だいたい、ドラマの冒頭部分から気になっていたのだが、上中村が山に囲まれた盆地の様に描かれている。ところが本来、上中村にも清須にも山は無い。
100年前の地図を見たって一面平地なのである。平地に土砂崩れなど逆立ちしたって起こせないのだ。
過去の大河でお江が本能寺の変のあと明智光秀に会っても、蔦屋重三郎が老中田沼意次に直接面会しても、シチュエーションの細部はさておき千分の一、万分の一の可能性として楽しむ事はできる。だが、無い袖は振れない、無い山は崩れないのである。それが崩れたというなら、それはファンタジーに過ぎない。
ではどうすれば良かったのだろう。ドラマの清須城の惣構(そうがまえ)は町を包括し、その惣構の大手と思われる門の左右にはおそらく堀が伸びている。だがこの堀というのが浅くて細い溝にしか見えない。
そもそも清須城というのは、五条川に面する低湿地帯に築かれて惣構も五条川に貫かれており、一帯すべてが水堀と言える。その代償としてたびたび豪雨による五条川の水害に見舞われ、後に徳川家康はその被害の大きさと頻度にたまりかね名古屋城を築いて清須城の代わりとした程だ。
