政治は常に安定しているのが常態ではない。デモクラシーとは人々が自分の意見を自由に表明するのであるから、それは常に流動的で冒険的要素をはらんでいる。
最初から数と力で決めることは原義ではないはずだ。論争の中で時宜に応じて多数決による暫定的裁可が下されることが認められているにすぎない。多数派工作が大成功した今回の選挙とは裏腹だ。
「国民に信を仰ぐ」正しい手法とは?フランス・ドゴールの決断
それでは国民に信を問うためのよい手法はあるのか。もっともわかりやすい形は、国民・人民投票だ。国民の直接投票は何にもまして、権力の正当化の最も説得力のある手法だ。しかし日本には国民投票は憲法の敷居の高さからなかなか実現できない。事実上この制度は機能していない。
「国民に信を問う」という政治的選択を目の当たりにするときに筆者はひとつの歴史的事例を思い出す。68年フランスでの学生・若者たちの「反乱」だ。
ドゴールは、ナチスからの解放の英雄であり、フランスの現在の政治体制である第五共和制の生みの親だ。ドゴールは解放直後臨時政府の首相を務めたが、共産党との摩擦の中で辞任、その後アルジェリア植民地をめぐって内戦寸前にまで至った政治混乱の中で、今日の強い大統領制度の導入を条件に政権に返り咲いた。
この時代、フランスは繫栄し、外交でも米ソの間に入ってその存在感を示したが、「豊かな社会」が醸成したリベラルな価値観の時代へと大転換しようとしていた。パリ大学の女子寮に男子学生が泊まり込むことを求める学生の「性の解放」の要求に象徴されたリベラル志向は燎原の火のごとくフランス全土に拡大し、「五月革命」とも呼ばれる政治社会的大騒擾となった。カトリック的な価値観の旧態依然たるフランスは大きな変化の時期を迎えた。
その古い価値観の権化として糾弾された敬虔なカトリック信者ドゴールはこの学生の反乱=五月革命に屈して退陣したとわが国でもよく誤解されているが、それは事実ではない。
若者たちの反乱を自分に対する抵抗ととらえたドゴールは、自らに対する国民の信を問うために国民投票に打って出ることを提案した。これに対してドゴールをなだめ、議会解散・総選挙の選択を進言したのは、ドゴール大統領の右腕ポンピドー首相だった。首相は負けても自分が責任を取ればいいだけだと大統領を説得した。
実際には、負け戦覚悟の解散総選挙で、意外にも与党ドゴール派は大勝利、政権は安定を取り戻した。「革命」とまで言われた社会の騒擾が続くことを国民は望まなかった。明確な政策選択を前にした国民の理性的な判断だった。
しかしそれからが孤高の軍人政治家、信念と大義を重んじる英雄ドゴールの真骨頂だった。彼は国民の信頼の象徴としての国民投票型直接選挙で選ばれた大統領であることを誇りにしていた。彼は自分の信頼が揺らいだことにこだわった。
その結果、ドゴールは翌年周囲が止めるのも聞かず、緊急性のない上院改革と地方制度改革を提案してあらためて国民投票に打ってでたのである。結果は予想通りドゴールを国民は支持しなかった。
ドゴール自身としては自らの正統性を問う国民投票のつもりだったが、そこには無理があった。この国民投票は政策の選択ではなく、個人に対する人気と支持だけを目的とした投票と国民はみなした。フランス国民は過激な左翼への傾斜も軍人政治家の独断専行もいずれも拒否した。
簡単に同列には比べられないが、今回の高市自民党圧勝が理性的な議論を踏まえた結果ではなく、情緒的な選択であったとするならば、さらなる保守化傾向を強める日本政治の分水嶺にならなければよいと危惧するのは筆者ばかりであろうか。理性の力と良識に支えられた高い国民の政治意識を信じたい。
