2026年2月19日(木)

Wedge REPORT

2026年2月19日

 この点は、実は文科省の制度設計とも本質的には矛盾していない。学習指導要領において、プログラミング教育は当初から「プログラマー育成」ではなく、「プログラミング的思考」を育てるための学習手段として位置づけられていた。

日本のプログラミング教育は理念と現場がずれつつある(Zoey106/gettyimages)

 小学校では独立教科とせず既存教科の中で扱い、中学・高校でも情報活用や問題解決の文脈に組み込まれている。理念としてはきわめて抑制的で、むしろ先進的ですらあった。

 しかし運用の現場では、思考そのものを評価する難しさ、教員研修や教材設計がツール中心になりがちであったこと、さらには社会全体の「IT人材不足」という言説の影響もあり、プログラミング教育は次第に「コードを書く教育」として受け取られていった。ここに、制度の意図と実装のあいだの構造的なズレが生じたのである。

英語教育においても見えるズレ

 英語教育についても、プログラミング教育と類似の構図が見られる。生成AIや自動翻訳技術の急速な進化を前提とすれば、英語を長時間かけてマスレベルで習得させることの費用対効果は、今後大きく低下する可能性が高い。情報の取得や定型的なコミュニケーションにおいては、英語力そのものが制約条件でなくなりつつあるからである。

 ニセコ会議に参加した経営者たちが国内外の国際ビジネスで重視していたのは、英語を流暢に使えるかどうかではなく、異文化の背後にあるロジックや価値観を理解し、それを交渉や意思決定にどう結びつけるかという力であった。英語はあくまで媒体であり、重要なのは、その言語を通じて何を理解し、どのような判断を下すかという点にある、という認識が共有されていた。

 一方で、現行の学校英語教育は、学習指導要領上では「言語活動の充実」や「異文化理解」を掲げているものの、実際の運用においては、語彙・文法・読解といった試験対応型の学習に強く最適化されている。これは理念の欠如というよりも、評価の客観性、入試制度、授業時間数、大人数クラスといった制度的制約の中で、教員が取り得る現実的な選択の結果である。

 その結果、異文化間の価値対立をどう読み解くか、立場の異なる相手とどのように合意形成を図るかといった、本来グローバル社会で不可欠な能力は、教育課程の中で十分に扱われにくい状況が続いている。英語教育をめぐる現在の課題は、「英語を教え過ぎている」ことではなく、英語を用いた思考や意思決定を体系的に育てる設計と評価のレイヤーが、制度として十分に用意されていない点のようである。

 ニセコ会議には生徒1000人ほどの高校の理事長・校長も参加していたのだが、文科省の理念は先行しているが、実装と評価が追いついていないのが現状と認めていた。さらに、教員不足の現状を鑑みると適切な実装が行き渡る可能性が極めて低いことを憂いていた。

 知識教育についても議論は及んだ。単なる暗記の価値が低下していることは共通理解であるが、「知識が不要になる」という見方に対しては、経営者たちも明確に否定的であった。AIを使いこなし、複雑な意思決定を行うためには、最低限の幅広い知識や教養は不可欠であり、それは試験対策用の断片的知識ではなく、世界を理解するための「地図」としての知識である。

 文科省や中央教育審議会においても、「主体的・対話的で深い学び」や探究学習、カリキュラム・マネジメントの重要性はすでに共有されている。しかし学習指導要領が約10年ごとの改訂である以上、急激な社会変化に即応することは構造的に難しい。教育は短期トレンドに振り回されるべきではない一方で、固定化してしまうこともまた危険である。


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