2026年2月19日(木)

Wedge REPORT

2026年2月19日

今の若者は弱くなったのか?

 教育制度と現場実装の間に生じているズレは、知識や技能の領域にとどまらず、感情や個人の特性、人間関係の扱いにおいて、より鮮明に表れている。ニセコ会議ではこの点について、経営者自身の実体験を伴う形で、伺う機会もあった。

 印象的だったのは、ADHD(注意欠如・多動症)的な発達特性を自認しながら上場企業の社長として成果を上げている経営者や、「過去のトラウマ的な経験は消えない」と率直に語る経営者であった。この方々は自身の特性や感情を矯正すべき欠陥としてではなく、理解し、付き合い、環境や関係性と調整しながら意思決定を行う前提条件として捉えていた。感情や特性は排除すべきノイズではなく、現実の判断や行動に影響を与える要素であり、それを前提に経営を行ってきたという実感が共有されていた。

 一方、学校教育の現場に目を向けると、感情や内面の揺らぎは、しばしば「問題行動」や「個別対応事項」として切り分けられ、教育内容の中核に位置づけられることは少ない。関係性のストレスも、構造的な問題として扱われるより、個々の子どもの適応力や忍耐力の問題に還元されがちである。

 こうした文脈の中で、メンタルの問題を抱える社員の増加も、現実的かつ深刻な経営課題として耳にした。うつや不安障害といった医学的診断の有無を超えて、「感情の揺らぎに対する耐性が低い」「人間関係や評価への不安から意思決定が止まってしまう」「失敗や否定的フィードバックに過度に萎縮する」といった状態が、増えているという印象を持つ経営者は少なくなかった。

 しかし「若者が弱くなった」「甘やかされてきた世代だ」といった道徳的評価に回収する声はあまり聞かれなかった。むしろ経営者たちは、社会環境そのものが感情的ストレスを構造的に増幅させる方向へ変化していることを前提に議論していた。正解のない課題に直面し続ける状況、常時接続されたSNS空間での比較や評価、失敗や判断の誤りが即座に可視化される環境の中で、個人の内面にかかる負荷が増大しているという認識である。

 経営者たちが学校教育に対して期待していたのは、自分の感情や特性を客観的に理解し、それとどう付き合いながら意思決定を行うかを学ぶ機会である。感情を抑圧したり、問題として管理したりするのではなく、感情を前提条件として捉えた上で、環境や関係性をどのように設計すればよいのかを考える力である。

 しかし現行の学校教育においては、評価制度や学級運営の制約から、感情はできるだけ均質化・安定化されるべきものとして扱われやすい。その結果、子ども自身が自らの感情を言語化し、意味づけし、意思決定と結びつけていく学習機会は極めて限定的なものにとどまっている。

 こうして学校を「正解を当てる場」「失敗を避ける場」として通過してきた若者が、社会に出た瞬間に、評価の不確実性や人間関係の摩擦に直面し、自分の感情をどう扱えばよいのか分からず立ち尽くしてしまう、という構図が生まれる。これは個人の資質の問題というよりも、教育が体系的に扱ってこなかった能力が、社会に出てから突然要求されるという構造的ミスマッチと捉える方が適切である。

 この観点に立てば、メンタルヘルスの問題は、福祉や医療に委ねるべき「事後対応」ではなく、教育政策が本来正面から扱うべき予防的・基盤的テーマである。ニセコ会議で共有された実感は、不確実で感情負荷の高い社会を生き抜くための現実的な準備を、教育の中で始めてほしいという、静かだが切実な要請であった。


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