妻の不在は、魂の半分を削ぎ落とされたような心持ちを儀助にもたらしている。原作に描かれる彼の日常はこうだ。
<妻の「あなた」という聞き慣れた声が台所の方向で聞こえる。その独特の甘い声が障子のすぐ向こうで何気なしに「ねえ」と言う時もある。こういう幻聴から耄碌(編集部注:もうろく)が始まるのかなとまたしても恐怖に駆られるが儀助にはこれを幻聴と思いたくない気持もある>(原作より、以下同)
老いても性欲のほとんど衰えない儀助の夢には完遂できない妻との情交もよく出てくる。夢か現実か一瞬わからなくなる夢をみることが、<真の老耄による恍惚状態と言えるのではないかと儀助は次第に多くなる夢のうつつ現(うつつ)の夢を恐怖するが一方でそのような夢を見ることが喜ばしくもあるので困ってしまう>。
儀助の自意識はかなり過剰だが、一定の視聴者には、沁み入る感じがあるだろう。
住宅街にたくさんいる儀助らしき人物
元大学教授として、その矜持が妙なほど強い儀助は、来る者は拒まず、去る者は追わずで、つき合いの幅が狭い。かつての教え子が時折訪ねてくるばかりで、子もないため、親戚づき合いも皆無に等しい。
<小学校の同窓会などでは大学教授というだけで絡んでくる者がいたりして気が休まらない>
学会も<いっそ退会しようかとも思うが会費すら払えなくなるほど逼迫したかと思われるのが癪なので在籍し続けている>。
老人会に誘われるが、<そこには当然反目があり敵意があり色恋沙汰があり鞘当てがあり必ず嫌われ者厭な奴がいる>。<皺くちゃの婆あから惚れられでもしたらえらいことだ(略)行くまい行くまい。自分から友を求める行為を孤独に負けた弱さゆえと断じるところが儀助にはあるのだった>。
かなり困った自意識だが、ひとり必死の形相でラジオ体操の群れを横切っていく無表情居士や、図書館で「読むところがない」と言いたげに、新聞をバサバサと繰りつづけるインテリ風など、儀助らしき人物は都心の住宅街に増えているように見える。3人に1人が65歳以上になる10年後には、右も左も儀助だらけ、といった光景が広がるのではないか。そう思わせるリアルさがこの作品の魅力だ。
