フランスへ留学していたころの青い服を着た妻に抱かれて、鮮やかな橙色のソファの上に一匹の猫がくつろいでいる。この「青い服」という油彩画は、戦後の1949年の作品である。
若い日に心酔したマティスの色づかいをそのまま蘇らせたような、いかにも都会風のしゃれた油彩画だが、敗戦の荒廃からようやく抜け出ようという〈戦後〉の解放感が画面から伝わってくる。ひめやかな幸福感を漂わせた作品である。
〈猫〉はこの画家が若い日からずっと好んだ身近な創造のモチーフだった。妻の文子とともに一時はアトリエに「一ダース」もの猫を飼い、戦争末期に神奈川県の相模湖のほとりの山村に疎開した時にも猫を連れて移り住んだほどである。
猫は彼にとって最も親しい家族であり、気まぐれで愛すべき友人であり、理想とした「美しい暮らし」を運んでくるモデルであったに違いない。残されている多くの猫の絵はシンプルな線描のデッサンで描かれた〈群像画〉である。
そこでは様々な猫の表情と行動の移ろいが、コミックのコマ割りの画面のような不安定な曲線の中に浮かび上がる。多くの巨匠たちが作品に託した〈猫〉へのオマージュと違って、これはおそらく画家が猫という〈家族〉を通して造形した、身近で親しい〈小世界〉の眺めなのであろう。
猪熊弦一郎が90歳で人生を閉じるまでに残した造形は多彩で、油彩画やデッサン、版画、家具などの立体造形から都市施設の壁画などのパブリック・アートにまで及んでいる。しかし、そのいずれの作品の背後には人間とその生活を取り巻く優しげな世界の輝きがあり、そこに現実への懐疑や不安の影が入り込む余地は、どこにもうかがえない。
その天真爛漫(イノセント)な造形は、彼の創造のジャンルや手法が時代と場所を目まぐるしく変転する中でもほとんど揺らいでいない。〈猫〉はその純潔な世界観を映した一つの表徴ともいえる。
四国高松で教育家の家庭に生まれた猪熊弦一郎は東京美術学校(現東京芸大)に進んで藤島武二に師事するが、教室でモデルを描いているところへ時たまふらりと現れた師は、カンバスを一瞥すると「デッサンが悪い」と一言言って立ち去ってゆくだけである。
若者は取り付く島もなく途方に暮れるが、対象を正確に描くというだけでは絵は生まれないということをやがて知った。フランスへ留学したのは色彩の魔術師と呼ばれたアンリ・マティスに心酔し、圧倒的な影響を受けたからである。パリから南仏のニースのマティスのアトリエを訪ねたのは1938年、巨匠はすでに70歳になろうという頃である。
