二人の巨匠との出会いで起きた懐疑と混迷
〈頭髪もヒゲもアゴヒゲも皆白である。目は美しい透き通る様なセルリアンブルー、薄いテレベルト(緑土色)のワイシャツに煉瓦色のネクタイ、鼠色の明るい洋服、私はワイシャツとネクタイを見た時マチスの色に対してのただならぬ感覚を知った。「やっぱり違う」と私は全身を神経のようにしてこの貴重な時間を感じようとした〉(『猪熊弦一郎のおもちゃ箱』(小学館)、以下同じ)
マティスは作品を見てくれる約束をしてくれて、1年後に何点かの油彩画とデッサンをかかえてパリのアトリエを訪問した。それらをゆっくり見た巨匠は言った。
「君の絵は上手すぎる」
マティスは彼の作品を前にして「悪くない」と「上手すぎる」を繰り返す。
これは巨匠から目の前で宣告された否定の引導である。あまりにも深くうけたその影響は画家を迷路に導いた。フランスで偶然一度だけ会う機会のあったもう一人の巨匠、パブロ・ピカソとのかかわりもまた、同じであった。
或る日、パリの小さなギャラリーで妻の文子を伴ってピカソの作品を見ているところへ、大型犬を連れてバーバリーの外套を着たピカソその人が突然あらわれた。あみだに被った帽子の下にあの大きな目が光っている。あわてて駆け寄り、名前も名乗るのも忘れて帽子を取ってお辞儀をすると、驚いたピカソも帽子をとってこたえた。
素直(ナイーヴ)であるということは芸術家にとって幸福なことなのだろうか。大きな才能と出会った衝撃がもたらしたのは、「自分とは何か」という懐疑と混迷でもあった。パリでの留学の若い日々に二人の巨匠と対面して言葉を交わし、自分の作品までも見てもらえるという幸運を手にした猪熊は、それが同時に自分の才能への迷いとなることに苦しむのである。
〈その後の私がマティスのとりこになってしまい、どう描いてもマチス風になってしまう。確かにそれまではピカソ的なところがあった私がいつの間にか「猪熊はマチスだ」という評言に苦しまなければならないほどマチスの姿がはいってしまった。それはアメリカに渡るまで尾を引いていたが、やがて次第に自分を深くみつめるようになった〉
そのゆったりとした構図も軽快な色彩のリズムも、描いているうちにいつの間にかマティスになっている――。「猪熊はマティスだ」という世評が取り巻いて、それが彼を息苦しくさせるのである。
大戦の戦雲がにわかにパリに近づいていた。ナチス・ドイツ軍がアルザス・ロレーヌに侵攻して、さらにパリに迫っている。大砲の音が彼方から響いてくる中で、市民たちは車に荷物を積み上げて郊外に続々と避難をはじめた。
モンパルナス界隈に下宿していた日本人画家たちもパリから脱出することを考えていた。その中心になったのが「モンパルナスの寵児」と呼ばれていた藤田嗣治である。
