夜の戦場で学んだこと、そして五つの知恵
がんと向き合う日々は、しばしば「生きるか死ぬか」の大問題として語られる。診断名の重み、手術台に上がる緊張、治療の副作用、再発への不安。そうしたものが人生の根幹を揺さぶるのは間違いない。私自身、がんの告知を受けたときには、目の前に突きつけられた大きな運命と向き合うだけで精一杯であった。頻尿だの睡眠不足だの、そんなものは気にもならなかった。とにかく生き延びること、それだけが最大の課題だったのである。
ところが、長い闘病生活をくぐり抜けてみると、人間をじわじわと消耗させるのは、必ずしもそうした大仰な恐怖ばかりではないと分かってくる。むしろ、もっと日常的で、もっと些細に見える問題が、心身を深く蝕んでいく。私にとって、その代表が頻尿からくる睡眠不足であった。
私は1年間で5回の手術を経験した。2カ月にも及ぶ最初の大腸ガン入院体験の中で、身体にドレーンが入り、排尿は自分の意思とは無関係に管理されていた。人間は普段、排尿を「当たり前」の行為としてほとんど意識しない。しかし、それが自分の自由にならなくなったとき、初めてその有難みが分かる。やがてドレーンが外れ、自分の意思でトイレに行き、自分の力で排尿できるようになったときの喜びは、実に大きかった。自由に排泄できるとは、これほど幸福なことなのかと心から思った。
だが、その喜びの一方で、私は別の現実を突きつけられた。排尿とは、自分の意思だけで完全にコントロールできるものではないということである。膀胱は、言ってみればゴム風船のようなものであり、交感神経と副交感神経の微妙なバランスの中で働いている。頭で「まだ大丈夫だ」と思っても、身体のほうが先に反応してしまう。逆に、出したいと思っても思うようにいかないこともある。排泄行為が、神経と筋肉と循環の複雑な連携の上に成り立っていることを、私は病床で身をもって学んだ。
退院後、その問題はさらに現実味を帯びた。夜中に何度も目が覚めるのである。一晩に5回、6回とトイレに起きる日も珍しくなかった。眠ったと思えば1、2時間で尿意に起こされ、布団に戻ってもすぐには寝つけない。ようやくうとうとしたかと思えば、また目が覚める。朝になるころには、睡眠は細切れに寸断され、頭も身体も疲れ果てている。これが一晩だけならまだいい。問題は、それが毎夜のように続くことである。睡眠不足は意欲を奪い、気力を削り、判断力を鈍らせる。体力の回復を妨げるだけではない。「今夜もまた眠れないのではないか」という不安そのものが、新たな不眠を呼ぶ。闘病生活の裏には、こうした静かな消耗戦がある。
私は主治医にも相談した。泌尿器科の医師にも相談した。ベタニスやベオーパといった薬も半年以上飲み続けた。骨盤底筋を鍛えるリハビリも試みた。もちろん、まったく意味がなかったとは言わない。しかし、少なくとも私の場合、劇的に改善したという実感は得られなかった。がん細胞は切除できても、頻尿の悩みは解決しない。これは私にとって盲点であった。命に関わる大問題を乗り越えたあとに、こんなにも地味で、しかし深刻な問題が待っているとは思わなかったのである。
だが、私はもともと相場も人生も「大局観」が大事だと考える人間である。レアメタルの世界では、目先の値動きに一喜一憂していては本質を見失う。ならば、自分の身体についても同じことだ。「年のせいだ」「病後だから仕方がない」と片づけるのではなく、構造を見抜き、仮説を立て、検証し、対策を積み上げるべきではないか。そう考えたとき、私は夜間頻尿を単なる老化現象として諦めるのではなく、自分で研究し、観察し、攻略すべき課題として捉えるようになった。
