5回目の手術が終わった。病院の白い天井を見上げながら、私は自分の人生の長い旅路を思い出していた。これまで世界116カ国を歩き、砂漠も密林も鉱山も見てきた。資源の匂いを嗅ぎ分ける山師として、荒野のような相場と人生を渡り歩いてきたつもりだった。しかし今回の闘いほど静かで、そして深い戦いはなかった。
ガンとの戦いである。
幸いなことに、5回にわたる手術はすべて成功裡に終わった。主治医の先生方の腕、医療スタッフの献身、そして家族や友人たちの祈りがなければ、ここまで来ることはできなかっただろう。医学の力と人の情のありがたさを、これほど身に沁みて感じたことはない。
だが私は、退院したその日から自分に言い聞かせている言葉がある。
「勝って兜の緒を締めよ」
である。ガンの手術が成功したからといって、戦いが終わったわけではない。むしろ本当の勝負はここから始まる。術後の生活が乱れれば、再び転移が起きる可能性もある。あるいは別の臓器に新しい原発ガンが生まれるかもしれない。医学の世界では、そういう例は決して珍しくない。
だから私は、退院した瞬間から生活を整えることにした。
幸い最近は、スマートフォンとウェアラブル機器のおかげで、自分の身体の状態をかなり正確に知ることができる。心拍数、睡眠、酸素飽和度、自律神経の状態、歩行量まで、毎日データとして現れる。まるで自分の身体を一つの研究対象のように観察している気分になる。
昨夜のデータを見ると、少し安心した。
睡眠時間は 9時間17分。深い睡眠は 2時間30分。心拍変動(HRV)は 127ms。血中酸素飽和度は 95%台 を維持している。肺の手術を受けた身としては、悪くない数字だ。身体は確実に回復モードに入っているようである。
深い睡眠というのは、人体の修理工場のようなものだ。この時間に成長ホルモンが分泌され、傷ついた細胞が修復され、免疫が整えられる。人間という生き物は実に不思議で、眠っている間に自分自身を治してしまう。
私は若い頃からよく眠る人間だったが、手術後はさらに眠るようになった。平均すると 1日10時間 ほど眠っている。これを怠け者と笑う人もいるかもしれない。しかし医者はこう言う。
「それは身体が治ろうとしている証拠です」
なるほど、身体は実に正直である。
もう一つ興味深いのは心拍変動という指標だ。これは自律神経の健康度を示す数字で、一般の人は 40〜70ms 程度と言われる。私の場合は 100ms を超えることもあり、医師から「回復力がかなり強いですね」と言われた。
ある日、主治医がカルテを見ながらぽつりとこう言った。
「中村さんの症例は、なかなか珍しいケースですね」
もちろん医学の世界では奇跡などという言葉は使わない。だがその言葉を聞いた時、私は少しだけ胸の奥が温かくなった。
医学的に言えば、術後回復の柱は3つだという。
リハビリ、節制、栄養。
確かにその通りだろう。歩くこと、食事を整えること、生活を乱さないこと。どれも基本的でありながら、実は一番難しい。
だが私は、そこにもう少し別の要素があるような気がしている。まず 自己管理。
スマホのアプリで睡眠や心拍を毎日確認する。自分の身体の変化を客観的に見ることで、体調のわずかな変化にも気づくようになる。
次に 好奇心と行動力。
人間は、面白いことがある限り、なかなか簡単には終わらない生き物らしい。世界116カ国を歩いてきた私の人生は、好奇心の連続だった。未知の国、未知の人、未知の鉱山。それらを追いかけているうちに、気がつけば人生はかなり長くなっていた。
そしてもう一つ大切なのが メンタルケア だ。
人間の身体は、心と驚くほど深くつながっている。不安や恐れが続けば免疫は弱くなる。逆に笑っていれば、身体は少し元気になる。孫たちと話していると、それを実感する。
