完成品の敗北という“誤解”
3月中旬、春の気配が漂い始めた東京で「国際バッテリーサミット」が開催された。私にとって、この登壇は特別な意味を持っていた。1年に及ぶ過酷な闘病生活を終え、現場への復帰を告げる基調講演の依頼だったからだ。
白い天井を見つめ続けるしかなかった病床の時間、私は自問自答を繰り返していた。加速する地政学リスク、中国の台頭、そして「日本凋落」を叫ぶ喧騒の中で、この国の産業はいかにして生き残るべきか。その答えの輪郭が、サミットの熱気の中でようやく鮮明な形を結んだ。
会場には海外からトップクラスの専門家が集結した。議題は多岐にわたる。次世代バッテリー材料、半導体の微細化を支える素材、AIサーバーを駆動させる高効率デバイスに至るまで、レアメタルを軸としたサプライチェーンの再構築が議論の焦点だ。
資源の採掘から精錬、中間加工、製造装置、検査、そして最終製品。この壮大なバリューチェーンを俯瞰したとき、海外の参加者が一様に、そして畏敬の念を込めて口にしたのは、日本の「技術力」と、それ以上に「信頼性」という言葉であった。
世間では、日本の競争力低下を嘆く声が絶えない。「iPhoneのような革新的な製品を生み出せなかった」「テレビやスマホで中韓勢に敗北した」という言説は、統計数値を見れば一見正しく映る。しかし、私はこの表面的な敗北論に、どうしても納得がいかないのである。
なぜなら、産業の真の価値は、消費者の目に触れる「最終製品(完成品)」のシェアだけで決まるものではないからだ。
