円安は市場からの警報
円安とは日本経済に対する警報である。輸入資源価格の上昇、実質所得の低下、国際価格とのズレの拡大などを通じて、企業や家計に「構造を変えよ」と促す価格シグナルになる。
本来なら企業は調達先を見直し、省エネ投資を進め、価格転嫁を平時化し、生産性向上に動く。家計も支出構造を点検し、技能形成や資産防衛を含む備えを強める。市場経済とは、痛みが生じたときに社会が学び、行動を変える仕組みである。
ところが国家が介入し、この痛みを和らげようとすると何が起きるか。人々は変化を「適応すべき現実」ではなく、「いずれ政府が抑えてくれる一時的なノイズ」と受け止めるようになる。
適応は先送りされ、構造転換の圧力は弱まる。エネルギー価格の上昇に対し補助金で痛みを薄めるほど、節約や転換が遅れ、脆弱性が固定化されるのと同じである。
介入は「市場を守る」政策であると同時に、「市場から学ぶ」回路を弱める政策でもある諸刃の剣である。円安がもたらす不利益を軽減するほど、円安が突きつける構造問題を直視する動機が薄れる。そのとき社会は、危機に適応して強くなるのではなく、危機を国家に委ねて弱くなる。
通貨版モラルハザードの拡大
介入が繰り返されれば、人々は次第に学習する。「円安が行き過ぎれば国が止めるだろう」と。ここで通貨版のモラルハザードが生まれる。
第一に家計の適応が遅れる。円安が家計を痛める局面で、まず必要なのは長期の備えである。にもかかわらず「いずれ国が抑える」という期待が広がれば、痛みは一時的として処理され、備えは後回しになる。
第二に企業の適応が遅れる。本来、為替変動に耐える経営体質への転換が必要である。価格転嫁の仕組みを整え、投入資源の節約や代替を進め、投資で生産性を上げる。だが「国が何とかする」期待が強いほど先送りが合理化される。
第三に政治の適応が遅れる。介入は分かりやすい成果を演出しやすい。その結果、教育改革や労働移動、規制改革、エネルギー転換といった地道な適応政策から視線が逸れ、「やっている感」の反復が増える。
