したがって為替介入は、例外的手段としての位置づけを明確にしなければならない。どの程度の変動を『過度』とみなし、何を目的に、いつまで行うのか。出口が曖昧なまま介入を重ねれば、時間を買う政策が単なる先送りに変わり、依存だけが残る。時間を買うなら、その時間で適応を進めるという前提が不可欠である。
また、利上げの方向を明確にすることは、政府の市場介入に頼らないための条件でもある。日銀が物価安定の目標の下で経済・物価・金融情勢に応じて適切に運営すると掲げている以上、為替の動きも物価と期待を通じて判断材料となる。
国家の役割は「痛みを消すこと」ではない
国家の役割は痛みを消すことではない。変化に適応できる制度環境を整えることである。為替水準を操作して安心を供給するのではなく、企業が投資しやすく、人々が挑戦しやすい条件を整える。労働移動を促し、教育を刷新し、規制を見直し、生産性を高める。そうした地道な条件整備こそが、円安にも円高にも揺るがない経済をつくる。
自立した社会こそ最強の防波堤である。円相場そのものよりも、変化が起きるたびに「国が助けてくれる」と期待してしまう私たち自身の精神構造のほうが、はるかに深刻な問題である。
為替介入が映し出しているのは通貨の弱さではない。国家への依存を深めた日本社会の弱さなのである。
