2026年5月12日(火)

解剖:「大きな政府」を好む日本

2026年5月12日

「コメントしない」が依存を育てる

 財務省が介入の有無を明言しないことは、市場戦術としては理解できる。だが国民から見れば、巨額の公的行為が「語られない」こと自体が、受け身を育てる。「よく分からないが国がやってくれる」という感覚が強まれば、国家と国民の関係は主体と主体の緊張ではなく、保護者と被保護者の関係へ寄っていく。

 さらに沈黙は、事後の検証を曖昧にする。総額や日程が後で明らかになっても、なぜ必要だったのか、どの副作用があったのか、次に何を変えるのかが共有されなければ、介入は説明されない成功体験として残る。

 結果として「困れば国家が出てくる」という前提だけが強化され、適応努力はさらに弱まる。 必要なのは即時の開示ではない。少なくとも、介入が市場の速度違反への対応なのか、特定水準を守る意図なのか、事後に検証できる枠組みを社会に提示し、例外を常態に変えない歯止めを持つことである。

本筋は利上げである

 円安が金利差や期待形成と結びついている以上、通貨価値に働きかける中心手段は金融政策である。ここで必要なのは、次回会合の日時を約束することではない。

 利上げの方向を明確にし、円安を放置しないという原則を言葉と枠組みで示すことだ。日銀自身、見通しが実現していくなら政策金利を引き上げ、緩和の度合いを調整していくと明記している。

 4月会合では、政策金利を据え置いた一方で、複数の審議委員が利上げを提案し、政策委員の内部でも物価上振れへの警戒が強いことが示されたと報じられている。 だからこそ利上げの時期はフリーハンドでよい。しかし方向まで曖昧にすれば、介入への依存だけが強まり、適応はさらに遅れる。

 異次元緩和が長く続いた結果、市場の警報が鈍り、必要な調整が先送りされてきたという反省がある。市場が発するシグナルを国家が消し続ければ、外から見れば安定に見えても、内部では静かに適応力が腐食する。

 こうした発想の底流には、日本の政策運営に長く残る国家社会主義的管理の発想がある。市場が発する価格シグナルを、社会が自律的に学習し適応するための情報として受け止めるのではなく、行政が調整し、痛みを平準化し、望ましい均衡へ導くべき対象とみなす考え方である。

 この発想は、短期的には安定を演出しやすい。しかし価格が本来果たす警報機能を弱め、企業や家計の適応能力を静かに衰えさせる。

 戦後日本の経済運営はしばしば、この管理の成功体験によって支えられてきた。だが人口減少と成熟化が進む現在、必要なのは管理による均衡維持ではなく、変化への分散的な適応力を引き出す制度への転換である。

 今必要なのは、介入を増やすことではない。シグナルを正面から受け止め、社会の側に適応を促す政策運営である。


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