大切なのは優劣ではなく
事実から考えること
名もないドイツ市民による一連のユダヤ人救援は、今日のドイツではナチス国家に対する抵抗の意思表示とみなされている。岡氏は言う。
「ユダヤ人を救った行為は、よく『命がけで』と形容されます。現実に、活動が発覚して逮捕され、強制収容所などに送られて命を落としたドイツ人も大勢いました。けれども彼らは、はじめから自分の命と引き換えにしても良いと考えて行動していたわけではありません。
だからこそ、一人ひとりができることには限界がありました。たった一度、電車の中で見かけたユダヤ人のポケットにそっとリンゴやパンを差し入れる行為が精いっぱいという人もいました。
けれども、こうした行為と、何年もの間、彼らを自宅に匿い続けた行為との間に本質的な優劣はありません。なぜなら、彼らがとった方法は、それぞれの人にとって精一杯の『正義』だったからです」
人は誰しも、生まれてくる時や場所を選ぶことはできない。時には、自分の力ではどうにもならない大きな(時代の)流れに直面することもある。だからこそ、いかなる状況にあっても、「人間としての正義」を守ろうとしたかつての人びとの思考と行動は、色あせない意味をもつと岡氏は言う。
「ナチス時代のドイツには、ユダヤ人救援者以外にも、ささやかな行動を通して『自分が信じる正義』を貫こうとした人々がいました。秘かにナチス批判や反戦のビラをまき、ドイツ国民に精神的な覚醒を訴えた若者たちもそうです。もちろん、彼らのビラに戦争をとめる力はありませんでした。それどころか、彼らを待っていたのは、逮捕、拷問、さらには処刑や懲役刑などの過酷な運命でした。自分たちの行動にいったい何の意味があったのか。心に深く傷を負った娘に対し、彼女の母親はこう諭しています。『あなたは、精一杯の努力をしたの。その行動自体に価値があるのよ。人々が小さな力で国家に立ち向かおうとしても、変えることができるのはほんのわずかなのだから』」
ユダヤ人救援も反ナチのビラまきも、どちらも命の危険と隣り合わせの行動であった。それでもなお、彼らは「国家の正義」よりも自分自身の価値観や素朴な良心を優先したいと願ったのである。
