2026年6月25日(木)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2026年6月25日

 AIの可能性を最大限に延ばすためAIを野放しにするか、新技術を認めながらもAIの危険性を規制していくか、AIを巡る議論は中間選挙も左右すると、2026年6月6日付フィナンシャル・タイムズが述べている。

(Ole_CNX/gettyimages)

 AIに関する多くの議論の中で、誰もが意見を一致させる点が一つある。それは、この驚異的な技術が、莫大で前例のない不確実性をもたらしているということである。有識者が予測する先は、生産性が極まる理想郷から人類の絶滅に至るまで幅広い。

 最近では、トランプ政権でさえ、最強のAIモデルが広まる前に何らかの規制を設ける方向へと舵を切り始めた。対照的に、アルゼンチンのミレイ大統領は、アルゼンチンはAIアルゴリズムの活動に規制を課さないとし、AIによって完全に運営される企業「非人間法人」という新たな法的分類を導入すると宣言した。この動きは、より安定した成長モデルを求める国にAI開発者を誘致するための賭けかもしれない。

 しかし、AIの自由放任主義は、ほとんどの国や地域にとって到底受け入れられないだろう。教皇レオ14世は、AI等の技術に関し、その「リスクは技術が追求する結果だけでなく、技術がいかなるビジョンを抱いているか、そしてその過程で人間がどう変わるかにも関わる、つまり「何」だけでなく「なぜ」「どのように」も重要だと主張する。

 レオ14世は、AIが人間の知能を超える可能性はあるものの、両者は同じものではないと指摘する。AIは「その内面で愛、仕事、友情、責任が何を意味するのかを知らない」。機械学習は「内面的な成長を意味するものではない」。

 彼は特に、ポストヒューマニズムやトランスヒューマニズムといった考え方に警鐘を鳴らす。なぜなら、こうした人類の向上を目指す試みは、人間の限界を排除すべき欠陥とみなしているからだ。

 ローマ教皇の「人類は限界にもかかわらず、ではなく、むしろ限界を通して繁栄する」との反論は、「認知的降伏(AIが出す情報を鵜呑みにし、自ら考え検証することを放棄してしまう)」である。つまり、AIによって物事を容易にすることが、私たちの能力をむしろ低下させる可能性があるという認識である。

 限界に挑戦する方策と人間性を限界と同一視するという対照的な方策は、調和し得るかもしれない。しかし、その為には、責任の所在を明確にする必要がある。


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