ロシアによる自国民への監視・弾圧
22年2月24日に全面的侵略戦争が始まった当初、モスクワやサンクトペテルブルグの大都市を中心にロシア全土で反戦運動が起きたが、すぐに当局の激しい弾圧に遭って、参加者が逮捕・投獄されたり、外国に逃げたりして下火になった。ロシア政府は、スパイ罪や国家反逆罪の適用を拡大して、反体制派やジャーナリスト、一般市民をも厳しく摘発している。国際的人権団体の推計では、拘束者の数は、2万人を超えている。
その後、ウクライナ軍の反転攻勢を受けて兵員不足に陥ったロシアが22年9月に30万人の動員令を発したところ、大都市在住の兵役適齢の若者をはじめ、100万人以上が海外に脱出したと言われている。その中には、日本にまで逃げてきた若者もいる。
ロシア政府は、ウクライナに対する侵略戦争をいまだに「戦争」とは規定しておらず、欧米に唆されたキーウの「ネオナチ政権」に対する「特別軍事作戦」と呼称している。「戦争」と呼称していない理由としては、国民の目から「戦争」の実態、被害および負担を出来るだけ遠ざけることで、国民の間に反戦の言動が広がるのを防ぎつつ、短期決戦で戦争を有利に終結させることにあったと考えられる。
しかしながら、この当初の目論見に反して、戦争は、かつての旧ソ連時代の大激戦であった独ソ戦(1941~45年)を超えて5年目に入り、既に130万人以上の戦死傷者を出し、経済は、物不足、高インフレおよび高金利に見舞われ、モスクワやサンクトぺテルブルグ等のロシア国内の都市もウクライナ軍のミサイルや長距離ドローンの攻撃に晒されている状況である。今や戦争の惨禍は、一般ロシア人の目にも明らかになっており、国民の間に不平・不満・不安が広がっている。
事態を重視したロシア政府は、ロシア国内で戦争批判の声が広がらないようにインターネットやSNSを厳しく規制している。
監視・追跡は国外にも
海外に亡命したり、避難したりしているロシア人の中で、海外からロシア政府を批判する声も高まっており、様々なルートでこれらの反政府言動がロシア国内に逆流していることにロシア政府は神経を尖らせている。スクレペツキー氏は、まさに海外における反政府・反プーチン活動の急先鋒の一人と目されていた。
スクレペツキー氏の射殺事件が起きる前にも、亡命ロシア人や人権活動家に対する殺人等の事件が欧州で報告されており、国外においてロシア人の安全が損なわれる状況が生まれていた。
例えば、24年2月には、ウクライナ軍に投降したロシア軍パイロットのクズミノフ氏が潜伏先のスペインにおいて死体で発見された。また、反プーチン政治家で、獄死したナワリヌイ氏の側近のボルコフ氏は、亡命先のリトアニアで暴漢に襲われて重傷を負った。
