「爆買」は中国人の代名詞だったが、26年1~3月期は台湾人の対日消費総額が中国人や韓国人を抑えてトップに立った。株高、通貨高で台湾経済はすこぶる好調である。AIとデータセンターの半導体需要で昨年の経済成長率は8.6%、今年の第1四半期は14%を超えた。6月のCOMPUTEX TAIPEI(コンピューテックス台北)は空前の人気で入場者は11万人を数え、日本人の訪問客は1万人に達したという。台湾積体電路製造(TSMC)の熊本進出の経済効果が九州や熊本の経済を一変させたことは日本人に巨大な衝撃を与えた。
「10年後の日本」を
感じられる場所
これらのファクトの数々が伝えるメッセージは一つしかない。台湾はもはやかつての台湾ではなく、日本ももはやかつての日本ではない、日本が台湾の前を常に飛んでいた雁行型経済の世界認識は過去のものになったということだ。インバウンドや半導体など日本の国内総生産(GDP)に直結する経済の根幹分野で、日本が台湾に依存する時代がすでに来ているのである。
確かに歴史的に日本は常に台湾の先導役の役割を果たしてきた。00年代後半、台北に新聞社の特派員として駐在していた私に対し、現地の日本人ビジネスマンは「10年前の日本ぐらいだよね」という台湾への評価をよく口にしていた。いささか上から目線の評価ではあるが、一面の真実はあっただろう。
現在も「日本から学ぶ点は多い」と台湾の人々は口をそろえる。だが、最近の台湾には「10年後の日本」を感じることも珍しくない。いずれにせよ日本と台湾のこれからは相互依存の時代に入っていくだろう。別の言葉でいえば、イコールパートナーである。
明治政府の初めての海外出兵は1874年の台湾出兵で一時台湾南部を占領した。初の海外植民地も台湾で、50年にわたって統治した。戦後は反共を理由に台湾に逃げた国民党政権と国交を結んだが、1972年に中国と国交を結び、台湾を捨てた。日台関係は冷却したが、90年代以降の民主化で李登輝ブームが起き、2011年の東日本大震災では台湾人の義援金が日本全体を感動させた。
日本と台湾の歴史は波瀾万丈でありながら、日台間の相互感情は今日でも極めて良好であり、日本製の新幹線や特急列車を導入してくれ、日本のファストフードや衣料店も台湾で大きなビジネスを展開している。そんな台湾が日本にとって大切なかけがえのない隣人であり、重要な資産であると認識するべきである。
日本の統治時代に建造されたダム、鉄道、建築物、農業施設などのインフラを台湾の人々は大事な遺産として受け継ぎ、良心と誠意をもって台湾に接した優秀な日本の官僚(後藤新平、新渡戸稲造ら)、技術者(八田與一、磯永吉ら)、教師や警察官たちは、今日の台湾で偉人として、時には「神」として、いまでも大切にされている。
植民地統治という行為を彼らが肯定しているわけではない。台湾に日本人が残したモノと精神の価値を認めてくれているのである。戦後台湾は国民党政権の統治下に入り、日本の遺産が旧時代の異物として排除される時代があった。しかし、今日ではそれも台湾史の一部として珍重される。台北の旧清酒工場の「華山1914」や、台南のデパート「林百貨」など戦前の施設が現代風にリノベーションされ、若者や観光客でにぎわう最先端の商業施設に変貌している。この春には台北の松煙という、たばこ工場跡地に日本の蔦屋書店が出店して大きな話題となった。
