2026年7月19日(日)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2026年7月19日

 一城の主ともなれば有能で信頼できる部下が必要で、そのためには血のつながった弟である秀長が100%近い専属の補佐役となることが欠かせなかったのだ。

 この作業員徴発の件をちょっと詰めておくと、黒田郷は琵琶湖北東端の木之本宿の、さらに北の端に位置する。

 木之本宿は北国街道(北陸と中山道の鳥居本宿を結ぶ)と北国脇往還(木之本宿と中山道の関ヶ原宿を結ぶ)が合流する公通の要衝だった。古橋村はそのすぐ東といっても、街道筋からは外れた谷あいの村であり、黒田郷の方が各段に土地の重要性は高い。そんな黒田郷を秀長が担当し、秀吉が古橋村の面倒を見たのは、越前侵攻や小谷城の浅井長政攻めを控えて超多忙&超物入りなために負担軽減を図ったのだろう。そんな調整を遠慮なく出来るのも、血のつながった兄弟ならではといったところ。

 余談ではあるが興味深いことに、この黒田郷は秀吉の軍師・黒田官兵衛の黒田氏発祥の地と言われている(異説あり)。官兵衛の祖父は目薬の製造販売で財を成したと伝わるほど、黒田氏はマネー感覚に鋭いところがあり、官兵衛もその流れにふさわしい人物だ。彼がドラマで登場するのはもう少しだけ後の話となる。

秀吉が播磨攻略を任されたことを機に、秀吉の配下に入った小寺官兵衛尉孝高(黒田官兵衛)

 閑話休題。黒田郷は、戦国時代にはヒトやモノの流通によって富を生み出した土地だったことは既に述べた。この頃にはもう牛馬の市が定期的に開かれており、江戸時代に入ると乗馬1頭あたり200文、駄馬1頭あたり100文の取引税が定められていたから、安土桃山時代も似たような課税率だったのだろう。仮に同じとすればそれぞれ1頭あたり1万2000円、6000円程度が領主の懐に入る。

 乗馬の価格は30万円弱ということで、税率は4%となる。

 北国街道と北国脇往還を通る資材・商品・旅客からのマネーも豊富で、黒田郷は裕福な土地であり、それを復興させ機能を完全回復させることは、今後朝倉氏討滅後の越前支配を進める上でも必須の課題として、秀長の責任は大だったのである。

秀長はいつ秀吉家臣となった?

 秀吉領の金の成る木である黒田郷の支配を任せられていた秀長だが、このタイミングでもまだ秀吉の家臣になっていた訳ではなさそうだ。というのは、作業員徴発の5カ月後、7月の長島一向一揆との最終決戦で彼は信長本軍の「御先陣」の丹羽長秀・前田利家・佐々成政・川尻秀隆・安藤守就ら錚々たる顔ぶれの信長直臣の先鋒の将たちの筆頭に名を挙げられているからだ。この段階まで彼はあくまでも信長家臣であり、秀吉の寄騎という立場だったのだろう。


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