2026年7月19日(日)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2026年7月19日

 間もなく朝倉義景が滅び、小谷城の浅井長政も自害して秀吉はその旧領の内3郡の主となった訳で、ここで黒田郷を支配管理していた秀長も長島一向一揆攻めの後のタイミングを以て兄の家臣となったという流れが自然かもしれない。史実では天正3年(1575年)に彼が兄と同じ「羽柴」の名字を使用しているから、おおむね合致している。

藤堂高虎の初任給

 そしてドラマでは長浜城の築造が描かれ、そこで藤堂高虎という男が秀長の目に止まる。商人たちに追われて逃げるものの橋のたもとでくるりと引き返し銭袋を渡そうとした高虎に対し秀長が理由を尋ねると、高虎は「これは盗っ人から取り返した銭で、あの橋は柱が腐っている」と言い捨てる。これで高虎を見込んだ秀長は、直後に彼を家臣として召し出すのだった。

藤堂高虎(中央)。大河ドラマのカギを握るのか(NHKホームページより)

 高虎は浅井の遺臣であり、実際にはドラマの翌天正4年(1576年)に秀長に出仕するのだが、その石高は300石。数え21歳と若く、まだまだ高い身分ではない。だが、ドラマでの出会いのエピソードは、どうやら今後の重要な伏線になりそうだ。

 というのは、高虎は後に「築城名人」と呼ばれ、伊賀上野城や丹波亀山城といった「天下普請」の城を築いただけでなく、江戸時代の基礎を築いたと言っても良い程のテクノクラートになっていくからで、若い頃も戦いの防御施設として作られる柵の工事に興味津々であきもせず見物していたというエピソードが残っているぐらいだ。

 その高虎が加わった事で、将来秀長が普請する紀伊和歌山城や大和郡山城の話なども膨らんでいくのだろう。

 知行300石、額面1350万円で始まった高虎のセカンドキャリアもこれからのドラマの大きな見どころなのである。

 兄の秀吉がこの時期長浜周辺で召し抱えたのは石田三成などが有名だが、これはまだ年若く、小姓としての出仕だったから知行は高虎に及ばない。ざっと見渡した感じ、秀長は高虎の他にも横浜一庵や羽田正親、尾藤頼忠など既に実績のある働き盛りを迎えた部下を多く召し出しているから、その人件費の負担率は高かったはずだが、秀吉の補佐役たる秀長としては何が何でも有能な実務者たちを多く身の回りに置かなければ仕事が立ち行かなかったのだ。

Facebookでフォロー Xでフォロー メルマガに登録
▲「Wedge ONLINE」の新着記事などをお届けしています。

新着記事

»もっと見る