2026年8月10日(月)

Wedge REPORT

2026年8月10日

 もし、火災の原因が上記のような推測通りだとしたら、15年の学校管理職の経験から言えば、「学校管理が杜撰であり、管理職の責任は重く、言い訳できるものではない」の一言に尽きる。消防法により、学校には防火管理者を置かねばならない。単なる担当者の名札ではなく、消防署の講習を受けて取る資格で、筆者も教頭時代、二日間の講習に自費で参加して取得した。

 防火管理者は、消防計画の作成、避難訓練、消防設備の点検、防火上の安全点検などを担う。火気の管理は、その職責の中心である。そもそも、日常的にストーブが置かれ、私服が乾かされていたこと自体を、誰も把握していなかったでは、管理職の責任は免れない。校長の会見では、教員個人の落ち度に比重を置いた物言いに聞こえ、残念だった。

 しかし——と、ここで立ち止まりたい。この事案を、校長や音楽教諭個人の責任追及で終わらせてよいのだろうか。あるいは行政の監督責任を問い、来年から毎月、防火に特化した管理訪問を徹底すれば、それで済む話なのだろうか。

 実は筆者はこの学校が毎月避難訓練を続けていたと知り、驚いた。区の広報によれば、東京都安全教育プログラムに基づき、8月を除き毎月1回の避難訓練を実施していたという。

 筆者の勤めた地域では年に3回程度が通例だった。区は消防設備の点検も避難訓練も適切に実施されていたと認めている。やるべきこととされる訓練を、これだけ真面目に重ねていて、なお防げなかったのだ。

 管理を強化すればするほど、その負担は、実質的に無制限に働かされる教員へとのしかかり、形式的になる。現場に負荷を積み増していく発想の先に、答えはあるのだろうか。

学校という施設管理を担うのはすべて教員

 筆者は、この火災を、公立学校が長年抱えてきた構造的な問題が表出したものと受け止めている。なぜ誰も気づけなかったのか。答えは単純だ。気づくべき専任の目が、そもそも学校には用意されず、その役割は教員が本務の傍らで負わされてきたからだ。

 学校施設は、役場や庁舎と同じ市町村の施設である。ところが役所では、清掃も設備の保守も委託業者や管財担当が担うのに対し、学校では清掃を児童生徒と教員が行い、設備の点検も、防火管理も、安全管理も、その多くを教員が、特に教頭が抱え込む。教頭の職務は、学校教育法に「校務を整理し、及び必要に応じ児童の教育をつかさどる」と定められているが、この「校務の整理」の範囲が、きわめて広いのである。

 では、なぜ学校だけ、施設の管理をこうも教員任せにしてきたのか。ここに、日本の学校制度の根がある。

 学校の設置と管理、その経費は市町村が負う(学校教育法第5条)。ところが、その学校で働く教職員の給与は、市町村立(政令指定都市を除く)であっても都道府県が負担し、さらに国が3分の1を担う。いわゆる県費負担教職員制度である。

 つまり、通常は教員の人件費は自らの財布から出ない。専任の管理者を雇えば市町村の持ち出しになるが、教員に兼務させれば「ただ」で済む。加えて給特法は、残業代を支払わない代わりに給料の一定割合を「教職調整額」として一律に支給する仕組みで、勤務時間の管理を曖昧にしたまま教員を働かせることを、実質的に許してきた。その調整額も、今回ようやく段階的な引き上げが始まったところである。

 給与を負担せず、時間も限らずに使える——設置者にとって教員は、そういう存在であり続けた。清掃も、点検も、防火も、こうして教員に積み上げられてきたのである。私物のストーブを見逃す隙は、この構造が生んだとも考えられる。


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