夏休み期間、令和の小学生たちはどうやって過ごしているのでしょうか。夏休みの子どもの過ごし方を考える際に最近は「体験格差」という言葉が飛び交います。子どもを幸せにしない状況を示す意味で使われることが多いようです。
放課後児童クラブを通じて小学生児童の過ごし方に関わってきた筆者には、さも恐ろしく語られている体験格差はまるで夏の怪談話のように聞こえます。体験格差はそれほどおどろおどろしいものなのでしょうか。
なお本稿では、児童福祉法が定める放課後児童健全育成事業を実施している施設を示す「放課後児童クラブ」を、一般的な通称の学童保育(所)または学童と表記しています。
体験格差とは
子どもが種々の活動を体験、経験できる機会の有無が、その子どもにとっての利益不利益に結びつく状況を体験格差と言うようです。数年前、公益法人の研究成果が報じられてから一気に広まったと筆者は感じています。
体験格差というワードがあっという間に市民権を得たのは、体験格差が専ら子どもの学力の格差と絡めて論じられ、体験格差の乏しい子どもは将来、学力面において不利益な局面に追い込まれるかもしれないという、保護者にとって恐ろしい結論が強調されたからだと考えられます。
子どもの成功を願わない保護者はそうそういませんが、その「成功」というものは、「高い学力が身に付き、質の高い教育を提供する高校、大学に入って卒業する」ことで「給与待遇が良い企業団体に就職する」ということを指していることが多いようですから、体験格差の上位者は将来、社会で成功しやすいのだという神話性すら帯びてしまうのです。
体験格差は具体的に、子どもが参加する海外旅行や短期海外留学などの異文化交流体験、最先端の流行を取り入れた娯楽施設やアクティビティの利用、高額な費用が必要となる習い事をしているかどうか、という資本力を背景に語られがちです。本来は基礎学力の習得の機会が所得の格差によって左右されることこそ体験格差の核心的問題なはずですが、メディアやSNS、世間一般で体験格差が語られる場面では、キラキラした体験を実現させられるかどうかに目が向けられてしまいがち。キラキラ体験をするにはやっぱり費用がかかるので結局、親の収入格差が子どもの体験格差を招くという声で締めくくられることが多いのです。
