そして、物価上昇による債務残高対GDP比の低下は、文字通り「インフレにして借金返済」である。これもまた、経済全体の物価に比して債務残高の実質価値が目減りしており、国債保有者からすると不都合な話である。
これら債務証券評価減と物価上昇による債務残高対GDP比の低下は、20年度から25年度の間の低下要因の約8割を占めている。財政健全化努力による貢献は補正予算での財政出動でかき消され、実質的な経済成長による貢献は少なく、ほとんどが金利と物価の上昇で債務を半ば「棒引き」にした結果だったのだ。これでは、「経済成長なくして財政再建なし」と胸を張ることはできない。
おまけに、前出の物価上昇は、国債保有者だけでなく国民生活にも及んでいる。つまり、物価上昇が国民の購買力を奪っているのである。その意味で、「インフレにして借金返済」の影響は、購買力を奪われた国民に広く及んでいる。物価上昇によって強制的に奪われた購買力は、経済学では「インフレ税」と呼ばれる。消費税は減税しようとしているのに、物価高でインフレ税は遠慮なく増税している。本末転倒である。
今や、日本政府は、思い通りに長期債を発行することができなくなっている。巨額の新型コロナ対策費を国債増発によって賄った20年度補正予算以降にそうなったのだが、予め年限を定めて発行する国債(新発債、借換債を含む)のうちほぼ半数が2年以下である。23年度には改善しかかったが、石破茂内閣と高市内閣の補正予算で元の木阿弥となった。
その背景には、そもそも国債発行額が多すぎて、民間金融機関にこれ以上の超長期国債の消化余力がないことと、政府が長期金利の上昇を避けたいという思惑がある。それで、政府が2年以下の国債発行を増やしたのだが、いくら金利が上昇したとはいえ、安定的な財政運営を考えれば、長期国債が消化されることのほうが望ましいのは自明だ。今年借りて、来年や再来年にいったん返してはまた借り換える、となると、まるで「自転車操業」状態である。
さらには今年7月、片山さつき財務相が、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が買う国債比率を変える可能性があると、異例の発言をした。これは将来の給付に備える組織のお金が金利上昇(国債価格下落)を抑えるために使われる可能性をも示唆している。日本の財政は、すでにここまで追い込まれていることを国民は自覚する必要がある。
過度な忖度やめ
進言する勇気を持て
多くのメディアでも報じられているが、昨今の永田町、霞が関を見ていると、与党自民党はもちろん、財務省、日銀や経済界までもが持論を述べず、高市政権に壮大な忖度をしているようにも見える。そう感じるのは、筆者だけではないはずだ。これでは、民主主義の意思決定過程が健全に運営されているとは言い難い。財務省、日銀、経済界、大手報道機関などは、これまで「エスタブリッシュメント」を形成してきたが、その機能が弱まっている。逆に、政策の良し悪しの吟味なく、世論受けする「アンチエスタブリッシュメント」が幅を利かせ、既存の政策を打ち壊そうとしている。
そうしたアンチエスタブリッシュメントは、戦前にもあった。腐敗した政党政治や財閥に国民が辟易し、清廉潔白とみられた軍部の台頭を生み、政党政治は滅びた。戦前の過ちを繰り返してはならない。
財務省と日銀は、これまで日本の財政金融当局を担ってきた。それだけ政策の知見が蓄積されている。それらをよく理解する自民党議員もいる。今求められている政策は、デフレ時代の政策ではない。需要をあおる財政出動や減税、利上げ阻止をしている場合ではない。必要なのは、過度な物価上昇を引き起こさないようにする財政金融政策である。
忖度している場合ではない。国民の意に沿うと思い込んで実施した政策が「Point of No Return」を超えることになってしまい、かえって国民の意に沿わない結果になる。それを避けるために、客観的な事実をもとに進言する勇気が必要だ。
