続く天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉・秀長は柴田勝家を撃破。大河ドラマ「豊臣兄弟!」では勝家とお市の方夫妻が北庄城の天守から飛び降り自殺するという奇想天外な展開で幕を閉じたが、実際には九重の天守の最上階に登り、妻子を刺し殺した上で「我が切腹の仕様を見よ」と火をかけさせた中で見事に自刃して果てたという(秀吉書状・『イエズス会日本年報』ほか)。
ただ、ドラマのこの下りで地味に目を引かれたのは、天守の屋根がグレーに見えたところ。北庄城は地元特産の「笏谷石(しゃくだにいし)」という石材で造られた石瓦で葺かれていたという話があるので、このグレーはそれを反映したものなのか?だとしたら、フィクションの中にさりげなくリアルを差し込んでおく、なかなか憎い演出だと思った次第ではあった。
「カギになる男」中川清秀
勝家の敗死によって秀吉は天下取りレースのトップに踊り出た。そして秀長は兄から播磨と丹波の2カ国を与えられ、姫路城主として名実ともに「シルバー共栄経済圏」の盟主となった訳だが、最後にこの戦いで華々しい討ち死にを遂げた中川清秀について少し触れておきたい。
縷々述べてきた通り、彼は山崎の戦いで秀吉に勝利をもたらした立役者のひとりだが、この男、キャスティングボートを握るべく生まれてきたものか、実に多くの歴史イベントのキーマンとなっている。永禄12年(1569年)、三好三人衆が足利義昭を攻めた本圀寺の変では奇襲によって勝利のきっかけを作り、元亀2年(1571年)には反織田の和田惟政を討ち取って北摂を織田一色に染める功労者となり、天正6年(1578年)に荒木村重が織田家に背くと村重の下から寝返って信長の窮地を救った。
この時、信長は恩賞として清秀に黄金30枚、その重臣3人に同6枚を下賜したと『信長公記』にあるが、『中川家譜』だとこれが清秀に黄金300枚、重臣3人に同100枚ずつとなっている。同書ではこの時清秀の目付役兼アドバイザー兼寄騎として信長から付けられた古田重然(織部。清秀の妹婿)が清秀から知行2300石を付与されたとも書かれている。
重然が信長から与えられていたのは600石だからこの数値は検討を要するが、本当であれば1億円ほどだから、信長から清秀への黄金も300枚=6億円の方が釣り合う気もする。いずれにしても清秀の価値はその金額以上で、最後の賤ヶ岳の戦いでも柴田軍を引き出して秀吉の電光石火作戦を成功に導く勲功と引き換えに命を捨てたのだった。
という所で、次回は小牧長久手の戦いへと舞台は移るのである。
