2026年11月1日(日)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2026年11月1日

秀吉の目を塞いだ6億円

 ただ、恒興にはひとつの誤算があった。それは秀吉が家康の出撃をリアルタイムで確認できなかったこと。

 家康は同盟者・織田信雄と共に事前に小牧山城を強化改修し、高さ8mにも及ぶ二重の土塁とその間に挟まれる空堀を山麓全面にわたって整備した(小牧市、城郭考古学者千田嘉博氏ほか)。この空堀を通れば、外からの視界は完全に遮断されて軍勢が自由に移動することができる。家康はこれを使ってまんまと秀吉の目を欺いて恒興らを追撃したのだ。

 家康は3月28日、彼の家臣で主に普請工事を得意とする松平家忠も同日に小牧に着陣しているが、土塁と空堀の大工事は当然それ以前、15日頃から行われていたと思われる。恒興らが長久手の戦いで討ち死にする4月9日までの3週間ほどで小牧山城とその周辺の砦のネットワークの連絡土塁を完成させた家康の土木力は凄まじい。

小牧山城の土塁跡

 ちなみに、かつて織田信長は北近江・浅井氏の小谷城攻略のために虎御前山城から土塁と空堀を築いたが、その距離は3キロメートル(km)ほど。小牧山周辺の場合は6km程度で、後に家忠も従事した江戸城の土塁普請が1万石当たり14間(約25.5m)の負担だったので、この長さごとに10人の作業員が投入されたとしてトータル2350人程度。それが20日稼働すれば6億円の経費が発生する。

 池田恒興はこの6億円の投資に敗れたのだ。

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