2024年11月24日(日)

オトナの教養 週末の一冊

2014年8月29日

偏見を排した曇りのない目で

 20代のダーウィンが南半球を探検した当時は、アメリカで鉄道が開通(1830年)し、エクアドルがガラパゴス諸島の領有を宣言(32年)。ビクトリア女王の即位(37年)後、40年にはイギリスと清のアヘン戦争が勃発して、ニュージーランドがイギリスの植民地になった。日本では天保の大飢饉(33年)や大塩平八郎の乱(37年)が起きている。

 先住民への差別と偏見が根強い時代に、ダーウィンは持ち前の明るさと冒険心で寄港地の人びとに溶けこみ、河をさかのぼり、山の頂をめざし、地層を掘る。

 先住民の攻撃にあったり、大自然の猛威に翻弄されたりと、命からがらの冒険旅行も一度や二度ではない。なのに苦労とは微塵も感じていないのだ。

 つねにユーモアとやさしさを人にも動物にも植物にも公平に注ぎ、客観的に理解しようと努める姿勢には、目を見張った。

 こうしたダーウィンの人となりが感じられるエピソードは数限りないが、なかでも、艦長フィッツロイ大佐が前回の航海でイギリスに連れ帰って教育したフエゴ島の子ども(艦長により、ジェミー・ボタンと名づけられた)らを故郷に返す顛末は、心に沁みる。荒俣さんの完訳ならではの、微妙な心の動きの描写によるところも大きいだろう。

 若きダーウィンのこうした感情こそが、偏見を排し、観察からまっすぐに導き出した独自の理論をうちたてる素地になっているのだと、腑に落ちる。

 自然の織りなす景観、地質、動植物、異文化の人びと。ありとあらゆる"もの"と"こと"を曇りのない目で観察し、無垢な心で不思議がる青年とともに、読者は世界地図をゆっくりとたどる。なんと楽しい旅だろう!

 実のところ、ダーウィンとのここちよい旅を急ぎたくなくて、私はまだ下巻のなかばにいる。アンデス山中とチリの大地震を体験したら、いよいよガラパゴス諸島へ。楽しみは秋の夜長にとっておくとしよう。

 航海のときから180年余りをへて今なお色褪せない、最高の科学読みものであり、冒険物語。科学する心の源泉は、ここにある。

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