「吉田調書」ひとつに絞った朝日の報道は、政府事故調の広範な視点を欠いていることがわかる。政府が吉田氏以外の調書についても公開したことは、今後の事故の分析に役立つだろう。
番組の出席者は、政府事故調の畑村洋太郎委員長と柳田邦男委員、国会事故調の黒川清委員長、民間事故調の北澤宏一委員長である。
「規制の虜」による政府の失敗
福島第一原発では、3つの原子炉が次々にメルトダウンに至った。
政府事故調は、まず巨大地震・津波の4時間後にメルトダウンした1号機について、事故は防げたとしている。非常用に冷却する復水器は手動で動く仕組みだったが、作業員が誤認して失敗した。3号機はバッテリーによって冷却装置が動いていたが、作業員が装置の破壊をおそれて手動で止めた。2号機は3月14日午後6時ごろまで冷却が続き、電源喪失後3日間の余裕があったにもかかわらず対策が講じられなかったとしている。
政府事故調の畑村委員長は「もともと全電源の喪失はありえないという前提だった。(そうではない事態を想定すれば)十分に対応できた事故である」と指摘する。
柳田委員は「技術に対する過信があった。現場のバックアップ体制やシステム、事故の際のマニュアル、指揮者の指示など有機的に動かなかった」と。
国会事故調は、原発事故による避難者約2万人を対象とするアンケートを実施して、その約半数から回答を得た。政府が避難圏を原発から3㎞、10㎞、20㎞と拡大する過程で、70%以上の住民が4回以上の避難を繰り返した。ことに、双葉病院の入院患者40人は、寝たきりの患者が多かったのに、福島県が手配したのは大型バスで、移動距離は230㎞に及び、着いた避難先の高校には医療従事者はいなかった。車内で3人が亡くなった。双葉病院と他の病院、介護施設を含めて事故後の3月末で60人が亡くなった。
黒川委員長は「規制の虜(とりこ)」による政府の失敗を指摘する。規制する側がより知識や経験のある規制される側に引っ張られる現象をいう。「日本だけではないが、規制の虜によって、(安全対策が)常に先送りされる」と語る。
民間事故調の北澤委員長は「空気を読んで、正義よりも組織を重視する。規制当局が相手を考える。安全神話が100%なので、これ以上の規制をいう勇気がなかった」と分析する。
北澤氏は9月末に亡くなり、遺言ともなった。