見晴るかす大海原、山と芝生の緑、気持ちよく吹きわたる風……、
観音崎の大自然に囲まれて、海が大好きだった画家の白い美術館が建っています。
そして家族と地元の人たちの数々の思い出も、この地には詰まっているのです。
谷内六郎の絵は大好きだ。いつ見ても飽きないし、いつ見ても新鮮だ。
新しい、といわれる表現の様式は、いつか古びる。でも谷内六郎の絵は、新しいのとは違って新鮮なのだ。描いた人の感覚が、そのまま絵に貼りつけてある、そんな感じ。
大昔、ポンペイから出土した壁画に、皿に載せたメロンが描かれていた。半分に切ったメロンの断面が、千何百年後のいまなお瑞々しく、果汁がしたたりそうだった。谷内六郎の、いつ見ても新鮮ということで、それを思い出す。
谷内六郎はいつも震える神経を持っている。地震計の針がわずかな揺れでも形に記録するように、谷内六郎の筆先は、いつも新鮮な記憶を紙の上にあらわす。太い神経では叶わないことなのだろう。
谷内六郎は子供のころから病弱だった。持病の喘息で、体はずいぶん揺さぶられたようだ。呼吸器の不安を抱えて、いつも生命の端を伝い歩く人には、この世の光景はどこも輝いて見えるのだろうと、想像する。
左手前に突き出ているのが谷内六郎館
そんな谷内六郎の美術館があるといいのになあと思っていると、横須賀にいる知人から、最近この横須賀に綺麗な美術館が出来て、谷内六郎の絵がたくさん並んでるよ、と教えられた。え? あるのか、と驚いた。でも横須賀というのが意外だった。何故横須賀に? 行ってみると、広い大海原を前にして、高さをぐっと抑えた美術館が、白く輝いている。一目見て、うわあ快適、と思った。前を通ったら、寄らずにはいられない。
ここの本館には日本の近代絵画が満遍なく並び、少し離れて谷内六郎館がある。展示作品は「週刊新潮」の表紙絵が中心で、いまは1年分50数点を、年4回の展示替えでつづけてやっている。何しろ作品の数は多く、1点1点が濃密なので、たっぷり楽しめる。