実際のところ、来日前の小錦さんは、新幹線どころか、日本という国についても、ほとんど知識をもっていなかった。せいぜいハワイでも放映していた「座頭市」の国と思っていた程度で、相撲も知らなかった。高校時代は成績がよく、スポーツや音楽にも才能を発揮していたので、将来はいろいろな可能性が考えられた。
大学で法律の勉強をしようか、と考えていた矢先に、ハワイ出身の先輩力士・高見山さんと出会い、角界入りをすすめられる。「お金の心配はいらない。体ひとつで来い」という言葉が決め手だった。10人兄弟の8番目として育ち、親の苦労はよく見ていた。これ以上の負担をかけたくない、という思いが何よりも勝ったのだ。
息子の突然の決意に、両親は反対したが、「5年間だけ、わがままを許して」と頼み込み、日本まで来た。それだけに絶対に失敗は許されないと思った。先輩から理不尽な意地悪をされたこともあったが、「土俵の上で打ち負かせばいい」と心に誓い、誰よりも稽古に打ち込んだ。「何も知らないから何でもできた」と本人。
史上最速のスピード出世
その結果、初土俵から8場所で関取となり、14場所で三役に昇進するという、史上最速の出世を成しとげた。「新幹線並みのスピード記録でしょ」と笑う。
力士が地方場所や巡業などで移動するときは、鉄道を使うのが基本だ。お座敷車両付きの臨時列車を貸し切ることもあるが、やはり新幹線利用が多い。最初は珍しかった新幹線にもいつしか慣れた。ちなみにどんなに大きな力士でも、1人1座席が原則。3人掛けの席にもスペースを譲りあって、並んで座る。
引退後の小錦さんは、タレント、ミュージシャンとして活躍しており、相変わらず新幹線で移動する機会は多い。そして「鉄道は便利だから大好き」と公言する。
もともと親に厳しく躾けられた上に、相撲の世界で時間を守ることの大切さを教え込まれたので、とにかく約束に遅れることが大嫌い。その点、日本の鉄道は時間通りに運行されるので、とても信頼できるのだ。
「たまにハワイに帰ると、向こうの人は時間の感覚が大らかでしょ。ちょっとイライラしちゃうんだよね。僕が、すっかり日本人っぽくなったのかもしれないけど」
小錦さんの頭の中には、新幹線各駅の構造も全部入っているそうだ。どの入口から入って、どのエレベーターを使えば、最も短時間で乗車できるかを記憶している。
「だいたいどの駅も、真ん中に近い7号車あたりにエレベーターがありますね。駅の構内図を見て研究をするわけじゃないけど、1回行けば覚えられるでしょ」
と言い切る。“駅の達人”になった理由は、歩く距離をなるべく短くしたかったからだが、大きな体を慮ってのことばかりではない。