この熱き人々

2014年12月18日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 小学校の頃から勉強の代わりにひたすら映画を観て、学校では問題行動で親や教師を困らせ続け、せっせと詩を投稿し、「ジーパンをはいた朔太郎」と絶賛された少年は、17歳で家出を決行。父への飽くなき抵抗と、息子への度を超した父の厳しさ。どちらもハンパじゃない。父の厳しさは、自分の中で完全に否定したはずの祖父の影を息子に見てしまうゆえの怯(おび)えだったのかとふと思う。親の影は、まるでおんぶお化けのようにつきまとい、親と戦っているようで実は自分の中の親の影と戦っている部分もあって始末が悪いのだ。

 「現代詩に強い特別な魅力を感じていたわけじゃなくて、とにかく演劇、バンド、小説、漫画といっぱい手を出してました」

映画を離れ映画に戻る

 表現者としての巨大なマグマを内に抱え込み、どこから吹き上げたらいいのか模索して、ついにたどり着いたのが映画。普通ならそうなりそうだが、やっぱり違った。

 「たまたま大学で映画サークルに入って、8ミリカメラを借りて撮りまくり、最初の作品が『ぴあフィルムフェスティバル』の入選作になって、翌々年にはグランプリを取ってスカラシップで次の作品の制作費をもらって、それに乗っかっていった。もし入選とグランプリがなかったら違うことをしていたかも。映画監督って、僕の中では一番ないほうの職業なんだよね。どっちかというと内にこもるタイプで、人間関係作るのうまくないし。個人作業の人で、集団を組織していくって合ってないと思っていたから。未だにちょっと違和感があります」

 園のデビュー作にして入選作は「俺は園子温だ!!」という、ひたすら本人が叫んでいる自画撮りの走りの画期的なもの。続くグランプリ作は、家出経験を8ミリ映画のドラマに仕立てて、グランプリねらいで作りまんまと成功させた「男の花道」。せしめた制作費で「自転車吐息」を完成させ、自主配給という方法で記録的な観客動員数を達成。普通、こういうのを順調なすべり出しと言うのだろうが、そうならないところが、さすが園子温。

 「早速行き詰まった。『部屋』を撮った後、映画ってどうしたらいいのかわからなくなってしまって、一度解放されたいと思って離れました」

 映画から離れた園が始めたのが、「東京ガガガ」という集団で無意味に無目的に弾けまくる、パフォーマンスとも遊びともつかない形容しにくい行動。

 「渋谷のハチ公前の交差点で、ここを旗で覆って人も車も止めたらどうなんだろうって口に出したら、やってみましょうよというのがいて、じゃ、やってみるか。すごく大きな横断幕作って『東京ガガガ』って叫びながら交差点を覆っちゃう。最初は20人くらいだったのが、口コミで200人、2000人と増えていく。左翼も右翼も高校生も一般の人も集まってきて面白かったですね。2、3年は続けましたが、『自転車吐息』で貯まったお金も底を突きやめました。2000人も集まるとスペクタクル映画できるなあと100時間くらい撮って、それで映画に戻ってきました。映画をやめると宣言した時の真面目さはカケラもなく、壊れて戻ったことで器はでかくなったと思う。もしそのまま続けていたら、もっと真面目に映画作りをしていたでしょうね」

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