「微生物は自然の法則に従って生きているのに、私は自然の枠からはみ出た生き方をしていた。だから発酵できずに腐ってしまったんだと思いました」
自然の法則に従って生きるって、どういうことですか?
「酒造りでは、麹菌、乳酸菌、酵母菌などが、自分の役目が来ると、それぞれの持ち味を発揮します。出番がないのに出しゃばったりせず、たくさんの微生物が争わずに共生しています。そして微生物にとっては、そうすることが心地よくて楽しいからやっているだけです。『自分らしく』『楽しく』『仲良く』というのが微生物の生き方であり、自然に則った生き方です」
つまり寺田が「自然の枠からはみ出た生き方をしていた」と言うのは、立場やお金のために蹴落としてでも勝ち組になろうとしてきたことや、信頼関係を築けない自分をさておいて周囲を否定していたことを指すのだろう。何より、そもそもそういう生き方は、自分らしくないし居心地が悪いと目が覚めたのだろう。
では、自分の持ち味が発揮でき、自分にとって心地よい生き方とは何か。寺田は「人様のお役に立つ、飲んでくれた人が喜んでくれる、そんな酒を造ること」が、己の命を完全燃焼させる道だと確信する。
自分に問題の根源があると腑に落ちたとき、
すべての問題は解決します。
そもそもの酒造りは、自然のままの原料に加え、杜氏や蔵人が手間をかけて酵母などの微生物が働きやすい場づくりをしていた。だから自然の生命力に溢れた酒となり、百薬の長とされたのだ。原料費を抑え、手間を省くやり方ではなく、昔ながらの酒造りに立ち返れば、人に喜ばれる酒ができると、寺田は思った。
「米は無農薬米。酒造りのコストの5割は原料米ですが、無農薬米は3倍の値段です。それから『生酛』といって、天然の乳酸菌の力で発酵させる製法をとりました。市販の乳酸を買ってきて短期で発酵させる『速醸』より、時間は2~3倍、手間は10倍かかります。酵母菌も麹菌も、今では自然のものを使っています」
この酒造りがどれだけ“非常識”なのか、大手酒造メーカーの杜氏に尋ねた。健康ブームの今ですら、麹も乳酸も酵母も市中または日本醸造協会から購入し、生酛ではなく速醸で造る酒蔵がほとんどで、無農薬米で造るところもまだまだ少ないそうだ。20年以上前に寺田が切った舵は、尋常ではなかった。「銀行には『そろばんに合わない』と、販売店には『売れるわけねぇ』と言われました」と寺田は振り返る。
業界の常識である効率的な製法から180度の転換。「お役に立つ」で食えるのかと、社員や家族は反対しなかったのか。
「及び腰じゃダメで、『俺は命を懸けている』という熱い思いが社員を動かしたんでしょうね。『父ちゃん、ごまかしやってない。本気だ』と家族も感じたようで、応援してくれました」