60年を超える草笛の芸能生活を支えてきたのは、芸能界入りを反対していた母親だったという。専業主婦からマネジャーになって、公私ともに娘の人生に寄り添ってきた母が亡くなったのは09年。
「専業主婦だったのにねえ。私がSKDに入ったことで母の人生も変えちゃいました。私ね、今でも親離れできてないの。見て」
そう言うと、草笛はパンツの裾をまくり上げた。足首に黒っぽい糸が巻き付いている。
「もう色が変わってしまったけど、赤い絹糸だったのよ。母が亡くなった日に結んだの。まだ一度も切れてない。だから母とはまだ繋がっているの」
ミサンガのようなものか。いや、ミサンガは切れた時に願いが叶うのだが、この糸は切れては一大事ということになる。
「だからバッグの中にいつも赤い糸を持っている。切れたらすぐ繋いじゃうんだから」
思わず笑ってしまう。親離れしていないのではなく、心の支えの母親を決して離さないと言っているのである。
「もういい加減にしてよって母は言ってるかもね。でも私がこうやって頑張っているのも、母のもとに行った時に、もっといい女優に、もっといい人間になって胸を張って会いたいから。まだまだ行けないな」
身振りを交えて、表情豊かに全力で話してくれる。男前にして、カッコいい。同時に、大先輩でありながらとってもかわいらしいと感じてしまう。80歳を超えて活躍中の人はたくさんいるが、未だその世界の中心に存在しているのはやはり稀有なこと。まだ観ていない「6週間のダンスレッスン」をぜひとも観に行きたくなった。
「そう? じゃ私、しっかり生きてなきゃならないわね」
怒涛の2時間半の舞台は昨年よりもさらに過酷になるのだろうが、草笛はそれをも楽しむようなお茶目な笑顔で、そう応えた。
(写真 / 岡本隆史)
草笛光子(くさぶえ・みつこ)
1933年、神奈川県生まれ。松竹音楽舞踊学校を経て、50年、松竹歌劇団に入団、歌唱力が注目され人気を集める。54年、同歌劇団を退団、以降、映画、テレビ、舞台で女優として長年にわたり活躍を続ける。
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