まさに自暴自棄。
「あっはは!」と笑いながら、木村は当時を振り返ってくれた。
そして次のレースである。
「前日の練習にも出ずに100mの平泳ぎに出場したのですが、大歓声の中でも、失うものが何もなかったので良い感じにリラックスして臨めたのです。そうしたら自己ベストを2秒も上回る大記録が出て銀メダルを獲得しました。
え~っ! と思いながら、その間も節制する気などなく、いい加減に時間を過ごしていましたが3日後の100mバタフライでも銅メダルを獲得しました。
狙っていた50m自由形では、自分自身が作った重圧に負けてしまったのです。それがメダルを取れなかったことによって、雑念のようなものがなくなり力が出せたということでしょう。緊張感がなければ記録は伸びませんが、それは重圧とは違います。上手くコントロールできればいいのですが、それが難しいところです。このことから一流とは狙った種目で勝てる選手のことを言うのだろうと学びました。
僕の場合は運よくリラックスして結果に繋がりましたが、絶対に真似はしないようにして下さい。節制するほうが良いに決まっていますからね(笑)」
「水泳は記録との勝負」
まだまだ満足しない
2014年秋、木村は韓国仁川で開催されたアジアパラ競技大会では、日本水泳陣のキャプテンとして出場し、50m、100m自由形、100m平泳ぎ、100mバタフライで優勝。4冠を達成した。
「メダルの色としては満足していますが、水泳は記録との勝負ですから、あの大会は満足できるものではありませんでした。いま国内では2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催で盛り上がっていますが、僕たち選手にとっては、その前のリオ・パラリンピックという大きな目標があります。ここでは記録と金メダルを取ることしか目標にありません。それを獲得してこその東京・パラリンピックなのです」
将来的には、視覚障害を持っている子どもたちにスポーツに関わる機会を作ったり、障害者スポーツが社会に広まるような活動に携わりたいと語っている。
木村敬一プロフィール
1990年滋賀県生まれ。
小学4年から水泳を始め、筑波大学附属視覚特別支援学校で本格的に水泳を学ぶ。
中学3年時に出場した「世界ユース選手権大会」で金、銀、銅のメダルを獲得。
2008年、高校3年時に臨んだ北京・パラリンピックでは5種目に出場。
2012年のロンドン・パラリンピックでは、5種目に出場。100m平泳ぎで銀メダル。100mバタフライで銅メダルを獲得した。
2014年のアジアパラ競技大会では競泳チームのキャプテンを務め、4冠を達成。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。