パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2015年5月1日

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 それから週に1度母親が寄宿舎に迎えに来て、木村のスイミングクラブ通いが始まる。

 「水泳を始めた頃の思い出はあまりないんですよ。水に抵抗がなかったことくらいでしょうか。でも、息継ぎが出来るようになった時は嬉しかったことを憶えています」

 「クロールと背泳ぎ以外の種目はなかなか覚えられなくて、それが少しずつでも出来るようになっていくことが喜びでした」

楽しい水泳から記録を伸ばす水泳へ

 小学校卒業と同時に東京の筑波大学付属視覚特別支援学校に入学した。

 当然滋賀県の特別支援学校で中学に進学するという選択肢もあったが、父親が「たくさんの友達に囲まれた学校生活を過ごさせてあげたい」という思いから上京が決まった。

 木村と同じような境遇の同級生が全国各地から集まっていた。教室はそれぞれの地方の言葉が飛び交い、異文化に触れたようで毎日がとても楽しかった。

 親元を遠く離れた寂しさよりも、世界が大きく開けたような気がした嬉しさが勝っていたようだ。

 同部屋の2学年上の先輩が水泳部だったこともあり、木村は迷うことも無く水泳部に入った。

 「進学すると、それまでの楽しい水泳から記録を伸ばす水泳に変わりました。小学生までの週に1回のスイミングとは違って練習がとても辛いんです。そんなことを感じながら2年生に上がると高校生を指導していた先生から『高校生といっしょに練習してみないか』と声を掛けられました。それが寺西真人先生です。早い時期から高いレベルでやらせようと考えてくれたのだと思います」

 寺西コーチといえば何人ものメダリストを育ててきた視覚障害者水泳の名伯楽である。この寺西との出会いが木村の人生を大きく変えることとなる。

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