パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2015年5月1日

»著者プロフィール

 その年はアテネ・パラリンピック(2004年)開催年に当たり、高校生の中にはアテネ大会に出場した選手もいた。また、夏の合宿中には当時視覚障害者水泳の第一人者といわれた河合純一の練習に参加したこともあった。

 河合はバルセロナ(1992年)からロンドン(2012年)までパラリンピック6大会連続出場を果たし、計21個のメダルを獲得した世界のトップスイマーである。

 木村がまだ競泳選手として目覚める前のこと、河合といっしょに泳ぎ、そのあまりの速さに「これが世界のスピードか!」と度肝を抜かれたことがあった。

 「あれには驚きました! パラリンピックのトップレベルを突然体感してしまったのですから。この人は怪物かと思いました(笑)。以来、河合さんとは夏合宿で練習をごいっしょさせていただくことになりました」

 河合の速さに刺激を受けて木村の意識は少しずつ変わっていった。

 そして2005年、木村が中学3年の時に出場した国際大会「世界ユース選手権大会(19歳以下の大会)」で、金・銀・銅のメダルをそれぞれ獲得したのである。

 「お世話になっている人や応援してくれる人たちがいたので、嬉しいというよりは、メダルが取れてほっとした感じですね。高校生になったらもっとがんばろうとか、高校生活は水泳だけでいいかな、なんて思いました」

 ストイックに世界を目指したというよりも、力みのない自然体のまま、高みに向かっていったという感覚なのかもしれない。

 木村の高校時代は水泳どっぷりの生活になっていった。

高校3年生で北京・パラリンピックに出場

 「当時の練習は平日で2時間程度、休日は3~4時間です。他の高校生と同じような教科を勉強していましたが、得意な科目は、あっはは! 何もありません。毎日がほぼ水泳だけの生活でした。小学生で始めた時はここまで泳ぐとは思ってもいなかったので、自分でもその変化に驚きました」

関連記事

新着記事

»もっと見る