パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2015年5月1日

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 レースは個人でも日々の練習はチームとして行われた。練習内容は選手がメニューを組んだ。木村の場合は月に2回程度、日本代表のコーチでもある寺西の指導を受けていた。

 3年生にあがり練習メニューにウエイトトレーニングを加え筋力アップを図った。また、ロンドン・パラリンピックの前は食事制限をして体重管理にも余念がなかった。

 すべてはロンドン大会で勝つためだ。

 そして迎えたロンドン・パラリンピック(2012年)。

 木村は50mと100m自由形、100mバタフライ、100m平泳ぎ、200m個人メドレーの5種目にエントリーした。中でも世界ランキング3位の50m自由形に懸けていた。

 「平泳ぎとバタフライの世界ランキングが5~6位。メダル圏外だったのです。一番メダルに近いと思っていたのが50m自由形で、世界ランキング3位でした」

 「同じ自由形でも50mと100mでは練習内容がちがうので、僕は50mで世界と戦おうと練習を積んできました」

 初日のレースは100m自由形。

 「もともと世界ランキングが5位で、メダルの期待もなかったので、翌日の50m自由形の前に一本泳ぐことができると割り切って臨めたのです」

 結果は、本人いわく「予想通りの5位」。メダル獲得への流れとしては良かった。

 しかし、50m自由形のレース当日を迎え、木村は「ご飯が食べられない」「足が震えて水着が着られない」などの緊張感に襲われた。さらに選手の集合場所では、周りが自分よりも遥かに強く感じられて、「勝てる訳がない」「嫌だ!」と気持ちが萎えてしまったのだ。

 北京大会に出場した時のように「参加できるだけでいい」と考えていた頃とは意識も立場も変わっていた。高校時代より格段に期待値が高まっていたのである。

 そのプレッシャーを真っ向から受けた。

 結果は5位。周囲の期待に応えることができず、記録という点でも、とても満足できるものではなかった。

 「あそこで僕のロンドンは終わったなと思いました。選手村に戻ってからは、俺のこの4年間は何だったのか……なんて考えて落ち込みました。家族や友人には、50m自由形が一番メダルに近いと話していたので期待してくれていたのですが、5位だったので『木村だめだったね』とみんな帰国してしまったのです(笑)。

 それからの僕は食事制限するのを止めて、ハンバーガーとか、レース前の身体にはよくなさそうなものばかりを食べまくって、練習をサボったり、どしゃ降りの雨の中で遊んだりしていました。周りは心配して『風邪引くよ~』なんて声を掛けてくれるのですが、「『平気、平気、大丈夫』」なんて答えて、節制する気なんてまるでなしです。そのうえ帰国の準備まで始めてしまいました。『あいつは50m自由形に懸けていたから、仕方がないよな』みたいなことも周りでは言っていました」

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