今回のテーマは「日本が世界に誇れるものは何か」である。ともすれば、日本の経済成長が足踏みしはじめてから日本人は自信を喪失しているようにみえる。
私が初めて中国に行ったのは1979年、日中平和友好条約が締結された直後のことである。経済的な後進性が目立っていたが、担当のエリートたちはプライドが高く面子を重んじたから必死で先進国に追い付きたいと思っていたに違いない。その時、彼らのプライドを支えたものは「中華思想」であった。
中国側に都合の良い経済交渉が終わった後には、中国流の宴会が待っていた。教養の高い彼らは好んで「漢詩を吟じたり」「七言絶句の書をしたためたり」してもてなしてくれた。そんな発展途上国の中国は驚異的な経済発展を実現し、GDP世界第2位の経済大国になったのである。
なぜ京都人の価値観は少し違うのか?
ある学者がこんなことを言っていた。日本には、大和やアイヌなどの民族のほかに、「京都人」という民族がいると。そういわれてみると確かに「京都人」というのは、発想や行動様式が日本人離れしているといえなくもない。私も、京都生まれ京都育ちの京都人であるが、京都の人間はそのことを当たり前にやっているだけなのであまり意識したこともない。外からの目で「京都人はこう違う」と言われて、初めて「なるほど」と気付くのである。一体、どこが京都人は日本人離れしているのか。
京都・先斗町(GETTYIMAGES)
中国人が中国という大国観を「中華思想」を中心に据えようとしているように、京都人も京都が日本の真の中心であると真剣に考えている人が多い。文化という日本のソフトパワーが1200年の歴史を辿ってきた京都に集まったということだ。