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2015年9月8日

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真田康弘 (さなだ・やすひろ)

早稲田大学地域・地域間研究機構客員主任研究員/客員准教授

早稲田大学地域・地域間研究機構客員主任研究員・研究院客員准教授。神戸大学国際協力研究科博士課程前期課程修了(修士・政治学)。同研究科博士課程後期課程修了(博士・政治学)。大阪大学大学教育実践センター非常勤講師、東京工業大学社会理工学研究科産学官連携研究員、法政大学サステイナビリティ研究教育機構リサーチ・アドミニストレータを経て、2014年より現職。専門は政治学、国際政治史、国際関係論、環境政策論。地球環境政策や漁業資源管理など幅広く研究を行っている。著書に『A Repeated Story of the Tragedy of the Commons: A Short Survey on the Pacific Bluefin Tuna Fisheries and Farming in Japan』(早稲田大学、2015年)、その他論文を多数発表。
 

 太平洋クロマグロは明治期から大規模な商業的漁獲が行われているが、戦前の漁獲については統計に乏しい。データがないと、ついわれわれは具体的な数字がある現在を物差しにして考えてしまいがちである。例えば大昔、至る所に魚の群れが海中を覆い尽くしていたという伝承があったとしても、数字を伴わないこうした伝承は受け継がれたとしてもあくまで古き良き時代を大げさに記述したにすぎないと見なされがちである。乱獲の結果魚の数が激減し、魚体も小さくなってしまったとしても、そうなってしまった頃に魚を捕りはじめたり、研究をはじめるようになった人たちにとっては、その小さな魚が基準(ベースライン)になってしまい、乱獲と資源減少の記憶を忘却しがちである。

シフティング・ベースライン症候群

 こうした錯誤は「シフティング・ベースライン症候群(shifting the baseline syndrome)」と呼ばれる。著名な水産生物学者の一人であるブリティッシュ・コロンビア大のダニエル・ポーリーが今から20年前に発表した論文で名付けたものである ( Daniel Pauly (1995), "Anecdotes and the shifting baseline syndrome of fisheries." Trends in Ecology and Evolution, 10(10), 430.)。データがないことを乱獲の忘却の言い訳にしてはならないし、最良の科学的知見及び過去の文献を渉猟し、これらを推定する努力を怠ってはならない。ポーリーがこの論文で訴えたかったことの一つである。シフティング・ベースライン症候群に対する警告は、今やワシントンのスミソニアン博物館でもパネルで大きく展示されて一般に紹介されるほど(写真参照)、水産生物学では基礎知識の一つとなっている。残念ながら、北委員会での水産庁の主張は、「シフティング・ベースライン症候群」の悲しい一例と言えるだろう。

ス ミソニアン博物館の「シフティング・ベースライン」のパネル説明。「私たちが捕まえる魚が小さくなると、もともとこの魚がいかに大きかったかということを 我々は忘れてしまう。『大きな魚』というものがどのくらい大きいかということに関する我々の比較のベースラインはシフトしてしまうのだ」との解説が付され ている。筆者撮影

 ミナミマグロでは初期資源量比20%が用いられているではないか、これは日本も賛成したはずではないかとの主張に対しては、水産庁は「ミナミマグロは資源が一直線に減少しているが、太平洋クロマグロは資源量が上がったり下がったりしているから、このアプローチは受け入れられない」と主張する(Government of Japan, “Japan’s basic view in considering reference points for pacific bluefin tuna,” WCPFC-NC11-2015/IP-09, 2015, p. 11.) 。残念ながら、私にはこのロジックを理解することができない。

 国連食糧農業機関(FAO)のデータベースを用いて世界の漁業資源の崩壊を網羅的に検討した論文によれば、ここ50年間に資源崩壊が起こった漁業資源366例のうち、資源がミナミマグロのように一直線に減少したものは約3分の1である一方、残りの3分の2については資源量の上下を繰り返したのち崩壊を迎えたか、一時資源量が安定したかに見えたにもかかわらず、つるべ落としのように資源が激減して崩壊に至ったと論証されている(Christian Mullon, Pierre Fréon and Philippe Cury (June 2005), “The dynamics of collapse in world fisheries,” Fish and Fisheries, Volume 6, Issue 2, pp. 111-120.) 。資源量が上下していることだけを理由に、だから資源崩壊のリスクはより少ないとの主張は、したがって科学的でない。

 水産庁は大西洋のICCATでの規制強化による資源の急回復については、あれは失敗だったと説明している。資源回復しても、漁業者の利益につながっていないからだというのがその理由である(たとえば以下を参照。みなと新聞2015年8月17日付「WCPFC小委 日本「水産業衰え」懸念 米のマグロ管理論に反論」) 。残念ながら、その主張は先に紹介した実際に漁業を行っているEUの説明ともICCATの科学者の説明とも一致していない。

 水産庁はさらに、「条約上、MSYを実現する資源量が目標であることは明確」であるが「MSYは定義されていない」と主張する(水産庁、「太平洋クロマグロの資源状況と管理の方向性について」、2015年8月、13頁) 。しかしながら、では一体水産庁はどの程度の資源レベルがMSYと考えられるのか、明確な説明を何ら試みていない。少なくとも、現在の暫定目標とされている初期資源量比7%程度でもその水準に満たすことができるとの科学的説明を、筆者は一度も目にしたことがないし、そのような説明が可能とも思われない。したがって、国連公海漁業協定第5条及びWCPFC条約第6条のMSYに関する条項の主旨を日本が忠実に実行しているとは、残念ながら全く思われない。

 米国は初期資源量比20%という中期目標の他、この問題に対して科学的助言を与えている「北太平洋まぐろ類国際科学委員会(ISC)」という機関に成魚漁獲の半減など更なる削減措置を行った場合のシナリオ分析を行うよう提案していた。現行の30キロ未満の小型魚の漁獲を02−04年比で半減させるという措置は、この小型魚削減シナリオがWCPFCから作成を依頼されたシナリオのうち資源回復効果が一番高いとISCが報告したことに端を発している。これを受けて日本がこの規制措置をWCPFC北小委員会で提唱し、採択されたのである。実はWCPFC北小委員会が依頼したシナリオには成魚の削減シナリオや、02-04年比ではなく直近比での削減シナリオは含まれておらず、他国がもっと踏み込んだ措置が必要なのではないかと苦言を呈したにもかかわらず、そんなことをISCは言っていないので、科学的でないと水産庁は頑強に反対した。

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