WCPFC条約は第6条1項において、MSYに関する基準を定めた国連公海漁業協定付属書Ⅱを「この条約の不可分の一部を成す」と規定するとともに、2項において「十分な科学的情報がないことをもって、保存管理措置をとることを延期する理由とし、又はとらないこととする理由としてはならない」と定めている。十分科学的にわかっていないことを保全管理措置を取らないことの言い訳に使ってはいけない、という国際法上の原則は「予防原則」と呼ばれる。国際環境法で広く適用されている考え方である。
たしかにMSYという考え方は、単一の種しかモデルに含んでおらず、環境の変化も考慮に入れていないとして数十年以上も前から批判が広く提起されている。しかしながら、MSYを基準として用いなければならないというのは1982年に採択された国連海洋法条約にも明記されており、国連公海漁業協定及びWCPFC条約にも引き継がれている。日本はいずれの条約も批准しており、法を守らなければならないというのは国際法上のもっとも基本的な原則である。したがって、MSYという考え方を採用する必要が生じ、これを否定するには、上記全ての条約の改正ないしは条約からの脱退が必要となる。
今回の会議に際してアメリカは、以上の国際条約上の諸規定を見るならば、MSYを基準として用いなければならないのは明らかだが、クロマグロは乱獲された資源であることから、MSYをとりあえずの目標と緩く解釈することにやぶさかでなく、初期資源量比20%をMSYの代理値として用いて2030年までに達成すべき目標としてはどうか、と提案した。
先述の図では資源量の半分程度がMSYであるとイメージされているところ、米国はこれを大幅に緩和して20%のラインと考えてもよい、つまりお椀型の頂点が中央の50%ではなく左側に大きく寄った20%とさし当り仮定することを受け入れる、という甘めのものとなっている。
資源管理が自分たちのためになると
気づきはじめた漁業者
初期資源量比20%という数字をMSYの代理値として用いることは、オーストラリア沖などで漁獲されるミナミマグロというクロマグロに匹敵する高級マグロでも採用されている。乱獲や違法操業により資源が激減したミナミマグロは2035年までに初期資源量比20%に回復させる管理措置を採択、現在資源は回復に向かっているとされている。この8月に東京で開かれたジャパン・インターナショナル・シーフードショーに出展した業界団体代表は、ミナミマグロが厳格な資源回復措置の下で規制されていることを力説、「我慢すれば、マグロは増える」とその効果を謳っている(水産経済新聞2015年8月31日付「「我慢すればマグロは増える」日かつ漁協と促進会 解体ショー大盛況」) 。ミナミマグロと同様資源が激減した大西洋クロマグロも、漁獲量の80%削減、幼魚の原則漁獲禁止、まき網と呼ばれる資源管理上問題の多い漁法の漁期を1カ月に制限するなど厳格な措置を導入、この結果資源は驚異的な回復を遂げた。
「漁業関係者は、本当に身を切る思いをしてきた。しかし今は、こうしたことが結局自分たちの利益になると気づきはじめている」と大西洋クロマグロを管理する国際機関ICCAT科学委員会議長のジョス・サンティアゴ氏は規制の効果を高く評価している(NHK「クローズアップ現代:食卓の魚高騰 海の資源をどう守る」2015年4月15日放映) 。北小委員会にオブザーバーとして参加したEU代表も、大西洋クロマグロの教訓を私たちに語ってくれた。規制によって恩恵を受けるのは、他でもなく漁業者自身なのだ。
ところが日本政府を代表して会議に臨んだ水産庁はこれに頑強に反対した。漁獲統計が行われはじめた1950年代以降、米国の提案する資源回復目標に到達したことは僅かあるいは全く存在せず、非現実的だから、というのがその理由である。具体的な統計という「現実」を見よ、米国の主張する目標はその「現実」からかけ離れている、というのである。WCPFCではコンセンサスでしか規制措置を採択できず、水産庁が反対したことから、米国提案は取り下げられざるを得なかった。しかしながらこうした主張は、残念ながら科学的も法的にも妥当と思われない。